その結果、21世紀のよりエコロジカルな知性を自負する人間にとって、主観性と客観性はリバーシブルな衣装になりつつある。その衣装が自らの生命の存続に必須かどうかは、少数民族ほど本質的ではないことが環境にとって最大の危機である。
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その結果、21世紀のよりエコロジカルな知性を自負する人間にとって、主観性と客観性はリバーシブルな衣装になりつつある。その衣装が自らの生命の存続に必須かどうかは、少数民族ほど本質的ではないことが環境にとって最大の危機である。
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しかし、今のインターネットに見られるハイパー言語による階層化では間に合わないに違いない。そもそもコミュニケーションの定義が狭すぎるからだ。動物や植物あるいは岩石とのコミュニケーションのアプローチを垣間見るだけで、社会性が希薄になるような現在のコミュニケーション段階からいつどのように移行できるだろうか。動物、岩石や植物とのコミュニケーションは、いまのところ主観性に委ねられている。あるいは宗教を除いて、過剰な擬人化として批判されている。動物、岩石や植物とのコミュニケーションなくして、少数民族に見られる薬学のシナジーの体系化は存在しなかったはずだ。
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不可視のテクノロジーが生まれて1世紀が経過している。不可視のテクノロジーに対する人間の理解の有無にかかわらず、電磁波に関与しない生命は存在しない。
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行政機構に道具のデザインを委任した結果、彼らは端末機を部屋の片隅に固定した。ところが、そこは淀んだ淵のように、魚なぞ一匹もいない。それが高価な地域イントラネットの実態だ。
(われわれのイントラネット利用調査結果に基づいている)
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ところが端末機という概念がイントラでは未だ生き残っている。端末とエンドユーザとは本質的に異なる。FTPやメールが送受信できないなどの制限付きのイントラは、球状グリッドのインターフェイスとして見た場合、情報に対する概念デザインが、要塞的段階にある。これがシステム管理以前の重大な機能不全を引き起こしている。なんという無駄使いだろう。1965年に生まれた相互リンクのテクノロジーは、電子的直接民主主義的コミュニケーションの最初の萌芽であるが、この手法をもっとも遠ざけたいのも行政システムである。あるいは教育システムである。終身雇用が解体されないように。
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教育であれ行政であれ21世紀のウェッブサービスに関しては、球状グリッド(=ネットワーク)なくしては存在できないし、経済的でもない。個人がPCを購入して手にする機能とグリッドとの新しい関係は、最近では「トラックバ ック」として馴染みがある。1965年にハイパーテキスト理論が誕生して40年が経過して、相互リンクのテクノロジーが短時間に日常化した。
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