月別アーカイブ: 2006年1月

無柱、無線、無管、無軌道

宇宙船などの宇宙空間に滞在するための環境制御デザインから見れば、建物の「内臓機能」はすべて固体的で非効率的である。大気圏外での生存は、有線、有管、有道から、可能な限り無柱、無線、無管、無軌道に変換されている。大気圏内でもっとも経済的で安全なテクノロジーの度合いも有柱、有線、有管、有道からの離脱度で図られる。
宇宙におけるバイオスフィアはもっとも優れた宇宙船のデザインの宝庫である。  Y.K

最後の産業革命1

エネルギーの自給自足なき住居は支配であり、手っ取り早い現金収奪装置である。
耐震装置や免震装置があろうがなかろうが、災害非常時にエネルギーと食糧が部分的にも調達できない住居は、すべて生存困難な単なる空間となる(災害の後にたとえ被害を受けない住居として残っても、大地に根ざした町全体のインフラ機能がすべて廃棄されると無価値になる場合がある)。

エネルギー生産装置付住宅による自給自足は、住宅に組み込まれた一種の「生産装置」であり、それによって住民は、経済の悪化によりエネルギー収入がたたれようとも、「とりあえずは生きていくことができる」。それは汎地球的な再生的エコロジーの原点でもある。

これは60年前に、バックミンスター・フラーがダイマクシオンハウスのプロトタイプに、現在の航空機産業でも自動車産業でも到達していない機能をインストールしなけれならなかった理由である。  Y.K

形態と機能

建物は整備された下水道、上水道、電線、道路などに完全に依存している。
建造物はまず地主に、次に建築規制や法的規制によって、つまりすべて不動産の所有権と、その公道や上下水道の管理に根ざした固体的で古典的なテクノロジーで制御され、国家の新陳代謝を支配する「内臓機能」になっている。
地面に根をおろしたこの内蔵の重さはまったく考慮されていない。
また植物との違いは、光合成によって自律的にエネルギーを変換し蓄積できないので、建物に住む人々は、エネルギーを常に購入しなければならない。

地上の建物の形態と機能は、植物的段階にも至っていないと考えられる。 Y.K

ファイヤーウォール

積雪2メートルにもなれば雪害はかなり発生してくる。
しかし広葉樹林帯の森は、都市文明との交流を4ヶ月間遮断できる。
雪はエコロジーのファイヤーウォールだ。

ここ農村部では除雪サービスで雪の壁が道の両端に作られるが、森から飛び出した狸やイノシシの子供などの小動物たちは、突然できる凍った高い壁を越えられないで自動車にあえなくひかれてしまう。  Y.K

アジア的自給自足5

自給自足なき農業は支配であり、農業なき自給自足はサバイバルである。

住宅地付属地による市民菜園的自給自足は、住宅に組み込まれた一種の「安全装置」であり、それによって、住民が経済の悪化により現金収入がたたれようとも「とりあえずは食べていくことができる」のは、アジア的自給自足の原点である。  Y.K

アジア的自給自足4

アメリカでは牛の数の方が人口を上回っている。
(牛や羊の反芻作用に関わる細菌が草を分解(発酵)するときにメタンガスが発生し、しかも糞尿からもメタンガスが発生し、彼らのゲップと合わせると地球の全排出量の32%にもなる。人間は牛に比べれば小柄であるが事情は小さな牛と同じである)。
排ガス規制は煙突や車だけに限らない。
牛を使役動物でなく食肉として飼育する行為は、パソコンや車を家財として購入する行為に似ている。  Y.K

アジア的自給自足3

肉食しなければ栄養失調になると考えているのは、運動不足で病んだ牛の霜降り肉が高級であると信じているように、単に権力機構による食糧戦略の刷り込み効果である。
アジアの稲作地帯は、伝統的に自給自足地帯である。
それに比べて、小麦生産地帯は森林伐採が完全に進行し、腐葉土が供給できない非自給自足地帯となっている。アメリカ資本主義が真に破壊したいのは共産主義というイデオロギーではなく、アジア的自給自足の伝統である。
10歳までにハンバーガーの餌付けに成功すれば、アジア的自給自足の伝統はその子供から消え去る。それがイデオロギー教育よりも効果的なのは、食糧は栽培するよりもお金で買った方が楽で安いという仕組みまでが理解され、やがて子供は両親の働いたお金で食糧を購入する習慣を確立できるからである。  Y.K

アジア的自給自足2

個人の庭先にたわわに実をつけるオレンジを収穫するカリフォルニア人はほとんどいなくなった。梯子をよじ登ってまで無農薬のオレンジを収穫するよりも、日持ちのするスーパーマーケットのワックス付きオレンジを好むのではなく、食べるものはお金で買うという条件反射を徹底化した姿であり、食糧を自家栽培する行為は、共産主義的ダーチャ、すなわち生活水準の低下を意味するまでになったのである。
人類が飢餓に苦しむ時代が長かった故に、人類には肥満に対する防御が形成されなかったように、食糧のすべてではないにしてもその一部を自家栽培する行為を閉ざすと、多くの場合は徐々に精神のバランスを崩すという単純な仕組みは隠蔽されてきた。
ガーデニングが支持される理由は、西欧の富裕層の趣味を輸入したカルチャーであり、家庭菜園の支持層が無意識的にアジア的自給自足に回帰しているのは、歴史的に構造的に理解できる。  Y.K

アジア的自給自足1

冷戦が終焉とともに生じたロシアの経済的混乱で郊外での家庭菜園が見直され、平均的家族の年間に必要とする種々の野菜は、30坪程度の畑があれば栽培可能であるという市民菜園ダーチャがTVでレポートされたことがある(当時ロシア政府はこの事実を否定した)。
それを聞いて、私の両親がほとんど庭のない一戸建てを購入して山手に引っ越すまでの12年間、6人家族全員の野菜類は畑の収穫だけで十分賄えていたことを思い出した。市内にあったその畑は現在駐車場になり、地主の家族は、きっとその駐車場収入から食糧を購入しているにちがいない。  Y.K

海辺

人間は、現在でもほとんど海辺に住んでいる。
星の観測による航海術のネットワークが構築された後に、外洋を利用した交易のために海辺に都市が形成された。

農村と都市といういう場合、ほとんどの農村は海辺ではなく山間部に位置している。
日本ではこの100年間、もっとも人口が移動したのは都市ではなく農村部である。 
かつて農村での出生率が高かったのは、乳児の死亡率が高いにもかかわらず、数百万人の海外派兵を維持するためであった。アフリカでは21世紀になってからも乳児の死亡率が増加するとともに、出生率も増加している傾向は、戦争による貧困が主原因である。
この理由はいずこも同じである。
「日本は明治時代からもともと子どもをたくさん産む社会で、ずっと生活水準が満たされていない段階でもたくさん育てていた」という小泉首相の発言(2005年12月24)に見られる文化論的分析は統計学的に正しくない。

戦後の農業生産人口は、改善された農業テクノロジーによって本質的に過疎化されたのである(工場が生産力を増強するために人員を削減した場合は、過疎化ではなく合理化と言われる)。
人口増加とは都市での安定した出生率が積算された結果であるように、農村の過疎化とは必要とされる食料自給率が積算された結果である。食料は今やエネルギーのように加工され保存され蓄積され、世界全体では過剰生産されて久しい。   Y.K