ゼンマイは下ごしらえにもっとも手間のかかる山菜である。
乾燥して保存食に適しているのは、栄養価も高く強壮、補血、利尿、血圧降下などの薬効も
長い経験から認められているからである。常食しても健康によい。
しかし、ワラビには発ガン物質がある。
(その強い毒性は、1983年にワラビから発ガン物質プタキロシドが分離され、
実験から牛の急性ワラビ中毒と同様の症状を起こすことで確認された。)
したがって、春の牧場ではワラビの除草剤が散布されている。
その薬害もかなり強いモノだ。
牧場でのワラビの除草は、牛の発ガンは防止できるが牧草には危険だ。 Y.K
月別アーカイブ: 2006年5月
異郷
人はそれぞれ異郷に生まれてくる。
そしてそれぞれ故郷を求める。
すべての人は宇宙に生まれて来るにもかかわらず、
すべての異郷を知ることはできない。
この隔たりが言語を形成した。
そして、言葉によって、
すべての異郷に生きることができる。
宇宙は永遠に異郷であり故郷なのである。
宇宙によって引き裂かれそして抱擁される。 Y.K
褐色雲
1999年春にヒマラヤから東南アジアにかけての上空で、
厚さ約3キロメートルで広がっているのが観測された雲。
褐色雲は地球温暖化や酸性雨などを引き起こし、環境に与える影響が大きい。
色が褐色であることから名づけられた。
直径が1ナノメートル(ナノは10億分の1)〜0.1ミリメートルの
硝酸塩や硫酸塩などのエアロゾルが、高密度に集まったものと分析されている。
エアロゾルが発生する原因は、森林火災や農業廃棄物の燃焼、車両や産業、
発電所における化石燃料の燃焼の増加、木材や牛ふんなどの生物燃料を使う
燃焼効率の悪い調理器具からの排出による煙霧などと推測される。
アジア全域で観測され、大陸から日本に移動することもある。
90年代半ばごろからアジアでの米の減収や水不足、
モンスーンの異常発生などが起こっており、
これらと褐色雲との関連が指摘されている。
私の好きな焚き火もアジアの褐色雲の原因であり、
薪や枯れ葉だけの焚き火から発する不完全燃焼の煙には
ダイオキシンがたっぷり生成されている。 Y.K
些細なこと
回LAN版はささいな情報公開システムである。
しかし、住民自治のための革命は些細なことから起こる可能性は高い。
些細なことが自律的であればあるほど、
官僚システムのフラクタルではないからだ。 Y.K
カスタム
原理の発見に至っては自分というカスタマーさえ存在しない。
環境からの要求ではなく
宇宙の要求からはじまると考えられる。 Y.K
緑の葉
環境汚染とは自然との新しい有機的な関係でもある。
それによってわれわれの社会がいかに宇宙と非有機的な関係であるかを
学習しているのである。
環境汚染はエコロジーを人類が近視眼的に独自にカスタマイズした結果である。
エコロジーは宇宙によって一般化された先験的なテクノロジーである。
エコロジーとテクノロジーを対立させたのは政治的イデオロギーである。
この起源を解明した書物はあまりにも少ない。
広告産業でエコロジーを緑の葉にシンボライズしたのは、宇宙と非有機的な関係を
今も引きずっている証拠である。 Y.K
カスタマー
あらゆる道具は目的に対して最適化された結果である。
たとえ顧客が自分以外に存在しなくても、
またそれ故に最初の道具は常に一個しかカスタマイズされなかった。
人間は道具に関して発明というカスタマイズ以外何もできない。
しかし、自然との関係を新しくカスタマイズできるのは、
発明が関わるメタフィジカルな行為である。 Y.K
カスタマイズ
デザインサイエンスにとってdo more with less とは、
問題解決のための効果的な方法を常にカスタマイズする最短経路である。
do everything with nothingとは、
自然が例外なく自らを常に原理化している最短経路(Critical Path)である。
アジアでは、無用の用、虚無自然という概念として受容されたきた。
カスタマイズにも原理化にも関わるこの最短経路は、
フィードバック(試行錯誤)なくして獲得できない。
最短経路はけっして直線ではない。 Y.K
平衡状態
日本には土地本来の森は 0.06% しか残っていないらしい。
それは山に住めば、分かってくる。
中国山脈でいまでも至る所にあるたたら遺跡とは、
雑木林を20年周期での伐採技術を維持し、
森林破壊活動を鉄の資本力で維持したことを物語っている。
本来の植生はシラカシなどの常緑樹、海抜800m以上の冷温帯の山間部はブナで、
中間温帯はコナラ・クリ、あるいはアカシデ・イヌシデ(等による暖温帯性落葉広葉樹林)
が広く成立、海岸部は照葉樹林である。
代表的な樹種であるイヌブナはかつての中国山脈のように、中間温帯に分布する。
「田舎の里山の伝統的生活にこそが環境を守る」という自然保護のために、
ボランティアを動員して里山の伐採とか下草刈りをしているが、
たたらの破壊活動のなごりでしかない。
何もしなければ200年間で極相林で平衡状態になるという高校で習う生物学とも矛盾することを思い出すだろう。 Y.K
住宅付属地
源流から遠ざかるにつれて、絶え間なく汚染されるにも関わらず、
自然農は源流域では浸透していない。
りんごやダイコンのような高濃度の農薬作物が主流である。
農薬汚染は源流からすでに深刻である。
なぜ農薬が生産され、使用されるかについて
考えたり実際に生産者に聞き取り調査などをしてきたが、
最近農薬は化学からではなく、
減収に対する強迫が作りだ出すことに気づいた。
自然農による農作物が一般的に高価なのは、
少量生産という市場経済ではなく、
生産者が巧みに減収に対する強迫を消費者にまで伝えたからである。
(実際は自然農の生産性は低下しない。
むしろ農薬や手間などの省力化によって生産性は向上する傾向にあるが、
一部の似非自然農業者は依然として意図的に
手間をかけた高級食材としての商品開発に熱中するだろう)。
一方、自給自足が都市近郊の「住宅付属地」に採用され発展するためには、
経営状況の悪化により現金収入がたたれようとも、
菜園で「とりあえずは安全に食べていくことができる」という強い不安と恐怖を必要とする。
自然農はこうした人間の不安と恐怖の克服から始まる。
その不安と恐怖の99%は
「自然農はこの楽園を一切損ね壊すことのない栽培農だ。
耕さず、肥料農薬を用いず、草や虫を敵としないところに
われわれの生命体は約束されている。」
という直観を深く疑っているのが原因である。 Y.K