人間が数百万年かけてやっと破壊的なほどの無駄遣いを覚えたのに、森の広葉樹は四分の一世紀おきに伐採すればまたすぐに生えてくる。
自然はなぜ、再生というお金のかからない方法をわざわざ繰り返しているのか。
「忙しくて時間がない」モバイラーと違って、森は時間を自ら生成する。
この時間にほとんどの人間は耐えられないようにデザインされている。例えば年輪だ。人間はこんなにじっとしていられない。 Y.K
月別アーカイブ: 2006年6月
観察者
森は今日も雲に覆われている。
あるいは
霧は今日も森から生まれている。
どちらも正しい。
迷うことはない。雲と霧は同じプロセスを意味している。
問題はあなたが今どこから雲あるいは霧をみているかである。 Y.K
ハイパーハイブリッド
雑草の種にも天然の淡水資源と同じような「価値のパラドックス」が発生しないと誰がいえようか。
天然水は有用だがガソリンのように高価になったように、雑草の種が無用であったときは安価ですらなかったが、除草剤や化学肥料に変わる役割が認識されたとき、タダのタネではなくなるのだ。
雑草と稲作は一種の共生関係にあるという自然農の発見こそ地下埋蔵資源を独占してきた権力構造が開発した農業テクノロジーと深く対立する。
しかし、この対立こそが都市と農村が共生する前に発生しなければ、小さなペットボトルに入れられた自然採取の複数の雑草の種(これが真のハイパーハイブリッド)は、やがて家庭菜園のオークションで売られていくだろう。
稀少価値は、使用価値に基づいた資本主義の源泉であるが、天然水や雑草のタネは商品に投下された「労働量」とは無関係に自然界という無人工場で自然エネルギーを100%再利用しながら完全自動生産されている。
この矛盾を解消するのが自然資本主義なのであるが、どのタイプの資本主義も惑星地球のエコロジー基本システムの開発に関与した歴史はない。 Y.K
ユビキタス桃源郷
高齢、過疎化で中山間地の農地が荒れるというのは科学的ではない。
農地は雑草によってより豊壌になっている。
休耕田は稲作により優位な環境を整えている。
高齢、過疎化の農村は、電子的格差社会が偶然に用意した自然農革命のためのプリセッション(副作用)である。
ブロードバンドがなくとも他に求められないほど希有な気象と地理的条件によって、無農薬自然農米と野菜だけで生活できる場所に感謝しよう。10年以内に330万世帯が住まう中山間地がユビキタス桃源郷に接近することは科学的に可能である。
不耕起自然農によって水田稲作という農耕のメカニズムにこれまでない大変革が生じている現実をみれば、もはや自然農理論の探査段階ではなく、生産者と消費者による相互理解の段階になっている。
それを阻んでいるのは稲作に対する間違った数千年の絶えざる刷り込みではなく、人間が雑草に対する敵意を抱くための雑草という植物に対する無知だけである。
この無知の維持には、毎年膨大なコストが使われている。
このコストには、枯れ葉剤を開発し除草剤に転用する軍事費なども含まれている。 Y.K
さらにトポロジーデザインの終焉
「+チームガイスト」でさえ、ぎっしり詰め込まれた空気の塊、つまり
気体が表皮を中心から外側の全方向に向かって押している固体状の球面を想定している。
連続的な表皮でできた閉じた球面は、外部に出ていくことができない気体の圧力で丸い形状を保持できると捉えている。
これは悪しき固体物理学である。
サッカーボールは人間が血の詰まったただの袋ではないように空気の入った堅い袋ではないのだ。
情報に関してネットワークが存在するようにサッカーボールも動的なエネルギー・ネットワークが存在する。
選手から強烈なシュートの打撃を受けても内部の気体分子が外部に逃れられないほど空気の分子よりも微細な穴のあるネットワークが空気の分子と相互作用した結果がほぼ球体に見えるのである。
選手がシュートする前から「固体」ではない。
見えないネットワークはつねに振動しているのである。
サッカーボールは、ゴールのネットのように穴だらけであるばかりでなく、完全に不連続である。
連続的な「固体」が存在しないように連続的な「皮膜」も存在しない。
このことを理解したらならば、サッカーボールの「皮膜」デザインの流行は終わり、穴だらけのテンセグリティ球としての構造デザインに移行するにちがいない。
テンセグリティのように内部の空洞が見えるサッカーボールが究極のサッカーボールだ。
そのとき、再び5回対称性は復活するだろう。これは外力分散システムの問題だ。 Y.K
キュービックなサッカーボール
「+チームガイスト」(写真上)は2006年ワールドカップドイツ大会で使用されるアディダス製の試合球である。
とにかく丸い。
6枚のプロペラ型パネルと8枚の三角形状パネルを組み合わせて
ボール表面の微細な凹凸を無くし、より球体を実現するデザインだ。
「+チームガイスト」はトポロジー的に見て原型は切頭8面体であることがわかる。
6枚のプロペラ型パネルは正方形から8枚の三角形状パネルは正三角形から変形可能である。
従来は5角形と6角形の32枚のパネルを張り合わせた32面体(写真下)だから面数を約60%減少させている。
そればかりか、これまでの5回対称性(=正20面体の対称性)は完全に破棄されている。数学的には双対性の原型から、キュービックでも8面体でもある。従来では球面の精度を上げるために面数を増加させたのであるが、縫製技術の革命によってデザインの根拠は反転して面数が少ないほど球面の精度は向上すると考えられる。
しかし、新旧のデザインにも共通しているのは、
構成部材の縫合される交差点(見かけ上の頂点)は常に3叉路である。
しかし、この三叉路の数は従来のサッカーボールでは60カ所あったが、このデザインでは60%減の24カ所である。
この面数と頂点数を劇的に減少させるデザインによって、
さらに縫合部分の全距離の短縮によって球面の精度と耐久性は著しく向上する。
特に試合中の変形度が低下するはずだ。
縫製部分の水分の吸収量も抑えられ、雨天時もボールコントロールはかなり容易になる。
これらの基本性能の革命によって、従来のデザインは完全に陳腐化されたといっていい。
今回のサッカーボールの機能デザインは、
グラフィカルな表面デザインではなくトポロジー理論から生まれた優れた解決法の一つである。 Y.K
センス オブ シントロピー
「地球に優しい」という企業広告に我慢できない人は、
エネルギー、食料、住居のエントロピーにも我慢すべきではない。
この直観こそ、「センス オブ シントロピー」の入り口である。 Y.K
流体地理学
都市はエネルギー、食料、住居のシントロピーから遠ざかることで成立している。
日本のほとんどの都市も海のそばにある。
都市はエネルギー、食料、住居のエントロピーの出口で人間を抱擁することを覚えたのだ。
私は直感ではなく直観的に生活する入り口を見つけるために海ではなく森のそばに棲んでいる。
しかし、私以外にたいした変化は見られないので、友人は古典的エコロジーと言っているが、
真の森は人間を排除している事実を知らないでいる。
森林浴が健康にいいのはせいぜい里山という人工林だ。
真の海は人間を排除している。
真の大気は人間を排除している。
どこに住もうが、すべての矛盾を川へそして海に大気に流しているのだから。
入り口はもう僅かしかない。
これが私の直観だ。 Y.K
黒ぼく土
遺跡はたいてい大地を掘り起こして発見される。
なぜ埋まっているのか。
私のこどもの頃からの単純な疑問であった。
砂漠では恐竜の骨が露出したままで発見されていたからである。
光合成による炭酸同化作用によってバイオマスは堆積する。
そして火山活動によって、火山灰も堆積する。
黒ぼく土は火山灰からできた土壌で、有機物をたくさん含んだ黒色をしている。
褐色森林土という中央中国山脈を代表する土壌によって、褐色森林土は場所によっては5mに達している。
黄砂のように大地が削られている砂漠地帯もあるが、私は地球の半径が徐々に増大している場所が好きだ。
焚き火をするために薪を買わなければならない場所からは100キロは離れている。 Y.K
反対称性
頭の良い人は自分を頭が良いとは思っていない。
頭の悪い人は自分を頭が悪いとは思っていない。
しかし、狡い人はたいてい自分を頭が良いと思っている。
真の正直者は頭が良い悪いなどにこだわらない場所を見つけている。 Y.K