月別アーカイブ: 2006年6月

空力学的パッケージ

サッカーボールのシュートから学ぶエアロダイナミクスはスポーツバッグの形態デザインにも応用できるだろう。
ここでは、パッケージの左右のニッティングの対称性に注目すべきである。
鏡対称は空力学的に処理された結果である。
ただし、この空気による見えないパッケージではシュートでの回転は無視されている。

優れたキーパーは、ボールの回転と軌道を瞬時に読まなければならない。
惑星地球人は地球の自転と公転による大気のエアロダイナミクスを読まなければカトリーナ級のシュートを何度も受けることだろう。
温暖化のエアロダイナミクスは惨めなオウンゴールに終わる。

大気圏の動的なパッケージデザインの見事さはアーティストサイエンティストの卓越した想像力以外、最近まで可視化できなかったのである。  Y.K

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http://www.fluent.com/news/pr/pr132.htm

熊の出生率

観察からシナジーは生まれない。シナジーは偶然に発見されるのみである。
熊を数えれば、森の大きさが測れるのである。
しかし熊は常に移動しているので数えるのはコストがかかる。
森の大きさを衛星から測る方が簡単である。

森とはブナの広葉樹林である。
この森こそが熊の出生率を決定しているということから
熊が増えればこのブナ林も拡張することが理解されなければならない。

同様に、人類の出生率を下げるには、電気エネルギーの消費量を上げれば良いのである。
人口増加はつねに電気エネルギーの消費量が少ない地域で発生している。
こうした根本的なモノの見方はたいてい見えないモノとの関係の発見に始終しなければならない。
しばしばその理解に1世紀以上を要することがやっと分かってきたのだ。
われわれが物質的理解だけに期待しているならば。  Y.K

熊の絶滅計画と保護計画

私は数学者として統計学の数字を無意識に追跡する習性がある。

昨日、西中国山地に生息するツキノワグマは現在推定300〜740頭との調査結果が発表された。
しかし、6年前の2002年度の280〜680頭に比べて微増したという発表は、2004年度、広島、山口、島根の三県では260頭が捕獲され、放獣されるなどした28頭を除いてすべて殺処分されている事実と矛盾する。
なぜなら2004年度は熊の総数の半分を虐殺した事実を無視して微増しているとは矛盾である。
熊の出生率から推定すると熊は微増したのではなく、明らかに虐殺によって激減しているのである。
現在の数字が間違っていないのならば、6年前の調査がいい加減なのである。
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200606060111.html

私の住む季節風の激しい豪雪地域では人が襲われる被害は一件もないが、そのことが熊が少ないことにはならない。
中央中国山脈では熊は里山に降りてくるのではなく、いつものコースを散歩しているのである。
衛星から観察した結果では、熊の一日の移動距離は30キロ以上である。
少なくとも中国山脈の過疎の村々では人口密度よりは熊の密度が多いのは自然だ。われわれが寝ている間、熊は自由に散歩している。熊は夜行性なのだ。
人間の熊への関心が少ないので夜間に観察されていないだけだ。村人にはイノシシと熊は昼間の狩猟の対象でしかない。
密度は最も高い地域で「 3.4平方キロメートルに1頭」らしいが、もし虐殺されていなかたったばらば、密度は単純に倍になっていただろう。つまり「 3.4平方キロメートルに2頭」以上だ。

ツキノワグマは西中国山地以上に中央中国山脈のブナ林に生息してきた。しかし、地形が入り組み雪が少ない西中国山地しかツキノワグマの生息数は推定できない。それが現在の調査技術のレベルであるという前提がある。この前提こそが統計を怪しくしている。
熊と森の生存はこの技術レベルで決められているならば、熊の絶滅計画と保護計画は貧しい思考の表裏だ。

人とクマとの共生を考える保護計画の策定は、いつものように自然環境の保護を前提としているように思われる。しかし、熊の大量虐殺という負のシナジェティクスオペレーションが森を短期間に破滅に導くという認識はそこには欠落しているにちがいない。  Y.K

面点師

中国のうどん屋は面点師といわれる。
「点」は小麦粉であり麺は「面」である。

「面」の発見は、グルテンという張力の発見であり
幾何学法則の発見よりも人類を幸福にしてきた。

「面」の文化圏はパンと違って小麦を発酵させない文化圏である。
張力コントロールだけが面点師のわざではない。
「面」には発酵にはないフレーバーがある。

これから、あたらしい「面」の発見があるとするならば、生化学的構造デザインに依存する。  Y.K

ジオデシック構造

ジオデシック構造は適切にデザインされているとは限らない。
富士山頂ドームは直径10mのフレームだけで650kgを超える構造体であったが、
もちろん古めかしい構造計算の安全率のために
ヘリによる空輸の危険率は最大になっていた事実はほとんど知られていない。

従来の構造力学は、荷重を分散しない結晶質でできた柱や梁の圧縮力のみを
考察の対象とする法律的な基準でジオデシック構造を分析してきた。
これまで製作されたジオデシック・ドームの多くは、
その強度が、航空科学が採用した適切な安全率をはるかに超えるリダンダンシーを採用する。
建築家は航空科学者の3倍の安全率で顧客に安全を約束する。
テクノロジーに関する無知が増すにつれて、
無意味な恐怖心の裏返しである安全率が大きくなるのは、
安全率に比例してリダンダンシーも大きくなる一方で、
荷重を分散する自由度を狭めていくからである。
過剰な重量を抱え込む構造こそ死の危険を増大させコストを上昇させる。  Y.K

流体地理学

サケの遡上が多かった年は木の年輪の幅が広くなる。
熊によって森の中に運ばれた窒素は遂に1ヘクタール当り120kgとなり、
造林業者が人為的に施肥する窒素肥料の量に匹敵するからだ。
樹木に含まれる窒素の中でサケからの窒素分の割合を同位元素別で調査した結果、
鮭の溯上の3年後に樹木中のサケの窒素の増加が認められ、
すべての森の樹木の窒素の30% 以上がサケからのものであるというレポートを読んだ。

流体地理学では熊はシナジェティクス的オペレーションでサケを森に加えたので
海の一部が樹木に化身したのである。
加えられたサケで未知でなる森の情報は明らかに生成されていることを意味している。
サケは森が雲という移動する淡水を生成するための媒介者である。
熊とサケはこの流体地理学を知らない。
サケと熊は異なったシナジェティクス的オペレーションを媒介する。

海と森の価値も知らないサケと熊の行動とは異なる人類だけが
シナジェティクス的オペレーションに<意識的に>参加することによって、
海と森の価値をはじめて理解できるのだ。  Y.K

異なった存在 

富の定義が対立すること、
これはもっとも激しい葛藤を引き受けることでもある。
この葛藤を乗り越えたエコロジストはほとんどいないとしても、
富の新たな定義が地球的民主主義で採択されるわけではない。
少なくとも気体である水素と酸素が互いに水分子として結合する場合、
自然は地球的社会経済性を単純に超越する有理数的な富のシステムを採用する。  Y.K

シナジェティクス

元素の発見の歴史は、加速度的にあたらな元素が発見された根拠を科学的には偶然性に委ねたが、同時に、その神秘性はメタフィジクスに、その膨大なシステムの体系化はシナジェティクスに委ねられた。 そしてその産業化による経済性の恩恵(プリセッション)はデザインサイエンスに委ねられた。
1927年、それらをたった一人の無名の個人が構想していたという事実を受けいれなければ、バックミンスター・フラーの著作は世界中の本屋で瞑想精神世界に分類されたままだ。  Y.K

ウィルスとワクチン

昆虫ビジネスから<共有するシステム>という
エコシステム自体の開発費は除外されているにもかかわらず、
理由なき発見のほとんどには特許的な価値がある。
昆虫はあきらかに人類よりも種類と個体数が多いから、
昆虫と人間が必要とする閉じた環境に特定の生命を加える行為でそれまで未知であった情報が生成することはもっとも産業化されやすい。
生態系の破壊が進行すればするほど、
昆虫ビジネスにも<ウィルスとワクチン>の関係が登場しやすくなるだろう。  Y.K

外破と内破

グローバリゼーションは進行する。
かつての大英帝国という内部がアメリカ合衆国という看板の外部と入れ替わり、
現在その世界権力構造内部が内部から解体されていく。
外破と内破の違いは内破には開放がないことから無開放閉鎖音になるが、
無数の破裂音のテロと同時進行する。
内部はテロを新たな外部とすることでしか構造化できない。
これが内部が外部に資金調達するメカニズムである。  Y.K