月別アーカイブ: 2006年11月

平均的な人類

バイオスフィアの4分の3は海である。
これは人間の水分含有率に等しい。
生命が陸に上がった時代のナトリウムの比率が高い細胞外液の組成が海水に近いように、生命間の比率は相似的になる。
そして人類の大多数は、今なお人生の四分の三は、睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみによって費やされる。人類の労働時間は、低下するばかりか上昇している。
テクノロジーは人類を労働から解放する原則に反している。
テクノロジーの本質は step out*だ。
デザインサイエンスの仕事は、地球全土でほぼ無数に存在する。  Y.K
*生産性証明済みの油井付近に掘られた井戸。

農業的思考

他人の考えたとおりに栽培しなければならない。
そうでないと、自分が栽培したとおりに考えてしまう。
こうして、
肥料と農薬なしでは考えられなくなるのである。

すべての植物は、栽培する前に自生していた事実を忘れた社会は、
ますます耕すことでより収穫を上げるという幻想を抱いている。
これは農業社会だけではなく、産業社会でもテクノロジーは
人間が作り上げる前には何一つ存在していなかったという幻想を生んでいる。
こうして、フラーレンやナノチューブも水素原子のように宇宙空間に存在していたという意識的な発見は、実験室での偶然の合成よりもずっと後になる。
ところが、元素の周期律の発見はこうした思考に依存しなかったからなされた。  Y.K

ノウハウ know how からノウホワイknow whyへ 

Cosmic Integrityを科学的にも証明できるとするのがシナジェティクスであるが、
シナジェティクスを学ぶ前に数学が深く関与するはずだと考えられたのが
一番リアリティがあったから、バックミンスター・フラーと研究する場を共有できた。
しかし、そのリアリティをさらに具体的な形にするには当時の私には
数学的知識があまりにも不足していた。
だれでも現実を肯定して、考えることを考え始めざるを得ないと考えている。
与えられたすべてのデフォルトを受容する態度は
royal(王権)のデフォルトを排除する機会を失ってしまうだろう。
リアリティ(reality)は、royal(王権)の名残りに今なお閉じられているからだ。
分断された異なった自己が統合されるには、
局所的な個人のそれぞれの挑戦と失敗が必要だ。
ノウワット(know what=目的意識)ばかりでは、ノウハウも発見も生まれない。
目的意識は簡単に捏造できる。
ノウハウ( know how=技術知識)ばかりでは、何も発見されない。
技術知識は独占されやすい。
ノウホワイ(know why=理由・動機を知っていること)には、
国家や大企業、教育組織は無関心である。
個人は、ノウホワイを生得的デフォルトから自ら発見できる。
同時に、ノウホワイからノウハウとノウワットを分断する境界線を消去できる
重要なオペレーションが生まれるはずである。
know whyは教育不可能であるという理由から、
教育課程では完全に除外されているが、
私は、バックミンスター・フラーからknow whyについてもっとも対話できた。
バックミンスター・フラーは、知識よりも概念を優先していたからである。
概念デザイン(prime design)は共有することができた。
偉大な師は、know whyをデザインサイエンスとシナジェティクスに
リンクしたまま、去ったのだ。
友人のシナジェティクス研究者ロバート・グレイ(Robert Grey)が立ち上げたサイで、
バックミンスター・フラーのシナジェティクスの原書のテキストと図版から
いつでも自由に学ぶことができる。
http://www.rwgrayprojects.com/synergetics/synergetics.html
このリンクを理解するには学校(建物)と教師は不要だ。
100ドルパソコンと辞書でモバイルするときが来たのである。 
梶川 泰司 
                         
                            

数学者エッシャー

エッシャーは、構造とパターンによって
エレメントの外形線の自由度が決まることを直観的に理解していたが、
それを数学理論にするまで20年間の懐胎期間がある。

バックミンスター・フラーが
4Dハウスからジオデシック数学を構築するまでとほぼ同じである。

構造とパターンは幾何学よりも、岡潔のいう「情緒と創造」に関与していると感じる。
事実を観察することから始める客観的主義への依存度がほとんどないからである。
しかし、メタフィジクスの神髄に触れることから20年間の懐胎期間が始まる。

こうした激しい持続は、偉大な芸術家や科学者の特徴である。

http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/magazine/0701/escher.html
http://synergetics.jp/gallery/

消失点

プレートテクトニクスが機能している厚さも地球のほんの表層のせいぜい数100kmに過ぎない。
大気圏が機能している厚さと変わらない。
私が、仕事で奥出雲空港を中心に大都市圏を往復する距離のほうが大きいのである。

最新のプレートテクトニクス理論や流体地理学を理解する場合、
土地資本主義という遠近法を支える<不動産>という固定された消失点が、一過性の人工物に見える。  Y.K

『クリティカル・パス』

少年少女は自殺する。
死が正義になるのは彼らだけという現実を知る前に。
あるいは、その現実を知って、兵士になる若者もいる。
正義にも現実にも計画的陳腐化のシナリオがある。

死に急ぐのであれば、もしくは生き残ってなお人生の節約をして
学校で静かな絶望的な生活を送っているならば、
『クリティカル・パス』バックミンスター・フラー著を読んでほしい。
シナリオどうりに死んだ歴史を学ぶものも意味あることだ。  Y.K

知られざる循環型社会構成

対話のない農村は存在しない。
都市と農村の交流は可能だ。
ただ、どうすれば民主的に見えるかさえ知らない農村は存在する。
ミラーイメージは鏡像であるが、鏡像を忘れた集団性は農村部の団塊の世代が構成していることがほとんどだ。彼らの共通点は、最初に都市からUターンした世代だ。そして定住者として手厚く保護された補助金バブル世代だ。
彼らの特徴は、一階がトラクターを格納する納屋があり、その2階部分に息子夫婦が住んでいる。
このトラクターも納屋も補助金(自己負担は最大で50%)で個人所有にされたものだ。
補助金は、利子どころか返済の義務のないことはいうまでもない。
こうして、住民票だけを残して息子たちは都市に移住して別の職業に就くことになる。
彼も再び村への定住者として手厚く保護される準備のために。(少なくとも2年前までは3子目を生みに帰ると、100万円が奨励金として贈与されていた農村は無数にあった。いうまでもなく子供たちは都市で教育される。)
こうした日常性こそ市町村合併前までの<明るい農村>の姿だ。

<明るい農村>は補助金による循環型社会の実例の一端にすぎないが、
この分野の都市と農村の格差はほとんど知られていない。
知られていない最大の理由は、都市納税者の常識からは想像できないからだ。

メディアは農村部の高齢化少子化を心配するが、こうした会計学は決して取材しない。
取材記者もまた都市納税者の常識のままだ。
こうした日本型権力構造が、グローバリゼイションの障壁になることは戦後の農村部を解体したアメリカの戦略のとおりであった。
なぜなら農民は補助金のおかげで、現金をほとんど貯蓄できたからである。

郵政民営化までのシナリオは、アメリカの軍部の戦略ノウハウである。  Y.K

智のデフォルト

インターネットから学生たちが一番危機を感じるのは、インターネットには誰かのアイデアを模倣したもので溢れているという事実である。
発明とは、他人の発明を模倣しないようにするのではなく、
原理を発見することだ。
発明は発見された原理を応用することだ。
これらことはよく知られている。
偉大な発明者がたいてい原理の発見と発明を同時に成し遂げているのは、宇宙は無数の原理で溢れているという智のデフォルトを大学で教育される前に理解しているからだ。発明者は、それ自体を教わるのではなく自らの試行錯誤から発見していたに違いない。
このことはよく知られていない。
偉大な発明と発見は、20世紀以後ほとんど大学の外でなされているからだ。

散漫な教育は、無用であるばかりか、メタフィジクスを滅ぼしている。
メタフィジクスの減衰が生命の危機に繋がるという認識は、宗教と同一視されている。  Y.K

知の貿易商

独創性の時代がインターネットで加速されている一方で、学生たちに独創性の根源をうまく教えられない大学と教師が高校生の獲得競争をしている。
明治以後、知の貿易商で経営されてきた大学と学者の時代が終わった。
授業料は知の貿易商に支払うには高すぎると感じさせる前にこうした広告的手段に身をゆだねるしかないのである。  Y.K