短命な楽園

田舎のことを、住みよい気楽な場所だとか、住みづらい場所などと比較するなんてばかげた話だ。魅力ある人間が住んでいるか、退屈な人間が住む退屈な場所なのか、田舎も都会もそのどちらかだ。会社のように。
田舎でログハウスに住んでログを売っているか、喫茶店を経営する類の都会人は、もちろん退屈な人間たちの頂点だ。都会人が軽井沢型リゾート指向であるかぎり、田舎暮らしのマガジンが出版され、相も変わらぬミニチュアの田園が再生産される。樹木はもっとも加工しやすい天然素材であることで、残りの自分の人生を選択できる木の温もり派が、地球に降り注ぐ膨大なエネルギーと地球のメタボリックシステムに無関心である限り、彼らのログが100年の耐久性を証明する未来は滑稽で短命な楽園にちがいない。マンションとログハウスの所有、これは平均的都会人の欲望の結晶であるが、実現できたとしてもコミュニティのない場所を交換するだけなのだ。(田舎が退屈でないならば過疎は起こりえないが、都市の人口過剰が豊かな充実度を表すわけではない。)  Y.K

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