工業社会に適用させるために、近代の学校制度が作られた。
工業社会が必要とする工場労働の様式に不可欠な「訓練」にもっとも効果的なカリキュラムが作られた。このカリキュラムは、毎日決められた時間に、決められた同じ場所へ集まり、決められた一定水準の作業を長時間集中することだった。
工場設備が高度化されるにつれて労働者の生活水準も向上するが、不要な労働力が大量に排出されるようになると、重要なカリキュラムに従順だった労働者の家族の中から、決められた時間に一人残らずある建物に収容される、というのは直感的に不気味なことだと感じるこどもたちが現れはじめた。
そのなかでもっとも鋭敏な子供は不登校になった(私は1960年代の最初の不登校世代に属しているが、当時は不登校という概念はなかった。)
同時に、決められた時間に、決められた場所へ集まり、決められた作業を黙々と長時間行うことだけがモラルとして維持されている間に、国内では、教育された労働者を必要な場所に、必要な数だけ派遣する産業が生まれた。
一方、インターネットテクノロジーは、
毎日決められた時間に、決められた同じ場所へ集まり、決められた一定水準の作業を長時間集中することから、同時的かつ非同時的に、決められたウェブサイトによって、各自の都合で選択された課題に集中し、かつ分散できるネットワークを形成するようになった。
やがてもっとも危機的になったのは、従来の教育カリキュラムである。
暗黒時代の固体的思考によるカリキュラムである。 Y.K