クロノファイル

重要なことはどこでもメモにする。
しかし、もっとも重要なことは
覚えていられる、という錯覚に捕らわれる。
こうして、二度と想いだされないで、
アイデアは消えていく。
そして、重要でないから想い出されないのだと
言い聞かせる習慣を身に付ける。

どんなアイデアでも記録する習慣は
10歳の知的爆発時期に自発的に習得できる。

ところが学校ではノート形式になる。
これでは、アイデアを記録できても
関連する項目を統合することはできない。
ページが綴じられたノートは、アイデア間の関係を
破壊しているのである。

私は B6カードを16歳の時から使用している。
当時の教師は、この形式を認めなかったが、
インターネットのハイパーリンクのお陰で、
この知的作業の形式を認識できない教師はいなくなった。

知識の重要性はその量ではなく、相互関係の増大する無限性にある。
そして時折、相互関係は増えるのに、情報量が激減する状態に遭遇する。
原理の発見は、情報量を激減させる。
そして原理は、今のところ無限に存在する。 
このパラドックスに遭遇する幸運を小説家は描けないだろう。

原理の捕獲には、クロノファイルがもっとも有効である。     Y.K

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