半減期の風景写真

父は、14歳の時から風景写真を撮り始めている。
74年間の3万枚近いアーカイブのデジタル化のための
環境の準備はほぼ完了した。
メガネを新調し、補聴器もテスト中だ。

熱によって、ひどく損傷した状態から呼び戻されたネガフィルムは
スキャナーの専用のフィルムホルダーよりもやや収縮していた。
これらの白黒ネガフィルムの整理をしていて、
1940年代から戦後までの数年間、
いっさいのヒロシマの風景写真がほとんど記録されていないことを知った。

広島は軍都として機能していたので
宇品港などの軍事的な重要拠点を分析できる
山の背景や海岸線などの地理的情報を含んだ映像を
たとえも個人的な興味に基づいた撮影行為が目撃または密告されると
憲兵にあっさりと逮捕されたらしい。

そうした当時の社会的状況のなかで、フィルム現像されたまま
これまで一度も引き延ばされたことのなかった風景は
デジタルプリントする直前の記憶と完全に一致していた。
半世紀前の現実に舞い戻った父は、いつもよりも若く見える。

ネガフィルムに眠るヒロシマは、
まだウランの核分裂により生じたセシウム137が
青白く光りながら強いガンマ線を発する半減期30年間の
すべての変容を受け入れている。      Y.K

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