カオスポイント

朝一番、森のそばを散歩するとき、
思い切りオナラをしてみよう。
鳥が羽ばたき小動物がざわめくのがわかる。
川のせせらぎを超えて向こう岸から反射音が聞こえるだろう。
まもなく400m先のバス停の老人がこちらを振り向く。

次に、たとえば新宿西口の信号待ちでで立ち止まったとき、
同じようにオナラをしてみよう。
だれにも聞こえないし、驚くことに臭わないことに気づくだろう。

都市空間は感覚器のカオスポイントを超えて
淀んでいるのだ。
それゆえにどんなに淀んでいるかはもはや測定できないのだ。 Y.K

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