風の吹いていない場所はつねに存在するが、
地球上で風が吹いていない時はない、
風はそれ自体が非同時的ネットワークである。
風は持続しないから、
だれも風を原子力のように所有できない。
これはすばらしいことだ。 Y.K
風の吹いていない場所はつねに存在するが、
地球上で風が吹いていない時はない、
風はそれ自体が非同時的ネットワークである。
風は持続しないから、
だれも風を原子力のように所有できない。
これはすばらしいことだ。 Y.K
今日は明るいときからスカイプ(=和名は天女)で
朝までエンドレスな忘年会をすることにした。
飲酒は無限。
話題も無限。
私はストーブの前で玄米甘酒を発酵させながら、
芳香漂う自家製どぶろくを飲み干すだろう。
ただし正確には同時的な会話はできない。
球状ネットワークシステム上に発生する
タイムラグがわれわれを少しだけ隔てている。 Y.K
アジア人は森で瞑想する。
しかし、砂漠で瞑想する民が
圧倒的な包括的な思考を身に付けた。
砂漠を離陸したシナジェティクスは、
森のない地変線の見える小麦畑で覆われた
北米大陸を通過して、
アジアの森の樹上に軟着陸するだろう。
海の民には見覚えがある風景だ。 Y.K
人間には重さのない事象は見えない。
他者の思考でさえ、誰も見ることはできない。
そして、
思考は発明できないことを知る。
これはもっとも重要なことではないか。 Y.K
専門化とはハイブリッド化することである。
無数の名詞はこのハイブリッド化された結果生まれた。
宇宙の統合化された機能、
つまり漸進的変化の過程に参加した有機体は
ついに動詞を発明した。
しかし、この永遠の過程では
すべての動詞でさえ、つねに特別な場合(special case)である。
すべてのデザインはハイブリッドである。
原理のみが特別な場合を超越している。
そう感じる有機体が存在しているのは、
神秘ではないだろうか。
つまり、私は「特別な場合」だけではないのである。 Y.K
これまで発見された異なった原理間には
矛盾が発生していない、
あるいは、
その矛盾が証明できないのは
無限の原理の存在こそは
脳がつくりだしていないからだ。 Y.K
人間が生存できる温度範囲はせいぜい40度である。
服は最初のモバイル・シェルターである。
1921年、記録に残る最初のエベレスト遠征で使用された
登山服の重量は、現在の20倍程度もある。
登山服の軽量化と保温機能の開発は極地登山の最優先課題であった。
(標高8,000メートル以上の平均気温はマイナス40度以下で、
大気圧は地上の3分の1以下)
住宅を来るべき地球温暖化に対応させるためには
寒冷な場所に簡単に移動できなければならない。
日本の平均的住居の重量を千分の1以下にすれば、
極地用のモバイルシェルターに転用できる。
大気圏は生存可能な最初の宇宙空間である。
もっとも経済的な生存が可能なこの大気圏内でさえ、
テンセグリティ・ジオデシック構造以外では
分解移動に適応できないだろう。
(このモバイルシェルターで使用される
薄膜フィルムが機能する温度範囲は、
プラスマイナス 100度で、その耐久期間は30年以上) Y.K
エコロジー的消費、そんな概念は非科学的だ。
無知と不安から、ひたすら所有したいだけの
「賢い消費者」はつくられる。
物質もエネルギーも消費できないことが
発見されて1世紀以上も経過した。
1963年にバックミンスター・フラーは
エコロジーという言葉を一度も使わないで
『宇宙船地球号操縦マニュアル』を書いたのは、
エコロジーで自然を記述するには、
局所的なシントロピーしか扱えなかったからである。
森と砂漠と極地の資源を搾取する以外に
存続できないという人為的なデフォルトを固定したままの
資本主義は後に局所的エコロジーを容認し賛美したが、
このマニュアルは資本主義が扱わなかった
「全体の富」の変換操作方法を示した。
無視すればするほど、
共有されることでしか存続できない叡智は、
無数の地雷のように埋もれている。
至る所を散策するだけでいいのだ。
その最新の変換操作方法は、
つまり、叡智の爆破方法は、
『クリティカル・パス』(宇宙船地球号のデザインサイエンス革命 )白揚社
にその詳細が記載されている。 Y.K
ノウハウは超物質である。
超物質は存在しても
超ノウハウは存在しない。
包括性に距離と大きさに無関係な連続性が形成される。
重力は非物質的な宇宙のノウハウである。 Y.K
原理は人間がつくり出す「抽象」の極限ではない。
それゆえに、論理的に発見された原理は存在しない。
しかし、発見された原理は論理的である。Y.K