『クリティカル・パス』新装版——–宇宙船地球号のデザインサイエンス革命
バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社 2007
が重版になる。
初版は1998年であるが、昨年の新装版からすぐに重版になることは編集部でも予想できなかったらしい。これまでの10年分の半分が1年で売れたことになる。
著名人の書評に依存した出版マーケッティングのみで今回の現象を分析できないだろう。
その理由は、1981年にすでにバックミンスター・フラーは、現在の人類の危機を科学者や経済学者以上に正しく分析していたばかりか、その解決方法を予測したからではないだろうか。
新装版『クリティカル・パス』の帯にも引用されたフラーのもっとも基本的な視点は、どんな書評よりも短く明晰である。
「宇宙船地球号には、エネルギーの欠乏も危機も存在しない。
人類の無知だけが存在するのである」1981 R.B.F
月別アーカイブ: 2008年7月
実在と過程
物理的な逸脱はつねに生成され知覚されるが
すべて非現実である。
たとえば、トウモロコシが高騰しすぎて、
石油のほうが安くなるが、石油が元の価格にはならない
社会経済状況は、知覚可能であるが非現実である。
原理群の存在が唯一の現実だ。
その存在を経験することは
絶対的な実在を知ることでもある。
しかし、確実に実在に到達する方法は
科学者も宗教者も誰も知らないが、
原理はつねに直観的に発見されてきた。
原理は証明される前に発見されてきた。
このプロセスに定理のような数学的証明は不要だ。
致命的思考
自由企業によって管理されたメディアは
利己心を国別に拡大してきた。
その心理戦争の目的は、
すべての生命を維持するには
致命的な世界を想定することによって
適者生存の世界観を現実化するためである。
地球温暖化は地球規模で致命的であるという
メディアの統一された見解は、
二酸化炭素ビジネスと同時に
科学的に偽装された適者生存の世界観を
より拡大している。
条件反射的な恐怖感から包括的思考は生まれない。
プロパガンダは地球温暖化よりも致命的である。
予測的
蛇のすぐそばで動かない蛙を見ると
蛇に睨まれている蛙は
じきに食べられると想像するだろう。
蛇は動かない物体を敵として認識できない。
「蛇に睨まれた蛙は動かない」のではなく
蛇にとって動かない蛙は存在しないことを
蛙は知っているのである。
だから「蛇に運悪く出会った蛙は動かない」のである。
ただし、蛙が生き延びるためには
蛇よりも先に敵を認識する必要がある。
恐怖に襲われると動かない蛙は、
動けなくなる人間よりも、予測的で経験主義的である。
つまり弱者はつねに包括的である。
さもなくば、蛙はすっかり蛇に食べられて
稀少生物になっているだろう。
大気水
森が近くにあると朝の霧は深い。
除湿器を霧の自然農の畑に置いてみた。
畑から8リットルの自然水が短時間に収集できる。
森は雲を生成する。
大気はパイプレスで淡水を移動させる。
森があるかぎり、
朝の紅茶はどこでも飲むことができる。
雲と泥
バイオスフィアは雲や霧を使って自家発電している。
必要なエネルギー源を地下や海底から
変換しているかぎり、
太陽から請求書がこない仕組みはデザインできない。
本当の富は表面にある。
概念
宇宙から何かを引き出すことで、
宇宙について思考する。
それが概念である。
概念的な定式化は、
つねに経験に基づいている。
その経験は新しい道具に影響されている。
その新しい道具は概念によって作られている。
有限な責任
お金と交換できるほとんどの仕事は
同時に、有限な責任で交換される。
不連続で非統合的な責任はしばしば偽装を生む。
そして、分断された責任は偽装できる。
偽装は効果的にお金と交換できる。
仕事において、
人間の誠実さは二次的に扱われているが、
テンセグリティの張力のように
連続的に統合する機能がある。
部分的な破壊が全体の破壊に繋がらないのは
この連続した張力のお陰だ。
無関係
静止した物事と
私と無関係な物事は
同じである。
これが静止宇宙観の思考法である。
もっとも単純な水素原子でさえ
私に対して一度も静止したことはない。