エコロジー教育がすすむにつれて、
環境を破壊しないで快適な生活は
できないという考えが支配的になっている。
人間は、宇宙の原理を物質化することができる最初の有機体として、
惑星地球上にインストールされたのである。
人間が宇宙の一部であるならば、
この教育観は宇宙エコロジーに反している。
人類が存続しようとしまいと
惑星地球は、膨大な電気エネルギーを消費している。
たとえば、大気圏内に発生する雲や霧は電気的現象である。
そして、野いちごの果実でさえ微弱な電流が流れている。
彼らは快適さを求めるために、
電気エネルギーを消費していているわけではない。
快適な生活という定義は、
ほとんど石油エネルギー資本によって洗脳された結果である。
(自動車の内燃機関が発明されて油田が開発されたのではなく、
油田が開発された結果、主にガソリンを消費する内燃機関が開発されたのである。
1900年ごろのアメリカ合衆国では、
静かな電気自動車が性能もよく広く使用されていた。)
よりエネルギーを消費するためだけに、
ほとんどの道具がデザインされ続けてきたのである。
たとえ、われわれが環境を破壊する生命だとしても、
自然(=あるいは宇宙)淘汰するエコロジーのデフォルトまでは破壊できない。