月別アーカイブ: 2009年9月

月光

満月の夜に、
はじめて家族全員が遠くから集まった。
南の縁側で、それぞれが声に出して未来を考えた。
お酒を飲んで、
みんな静かに笑っていた。
だれも昔話をしなかった。
月光のお陰だ。
また、満月の夜に集まろう。
今度は誰よりも遠い私の家で。

悠悠自適

経済的な自由と独立を手に入れて、
悠悠自適の生活に憧れる両親は、
子供にも小さな子供部屋を与えてきたが、
子供がせっかく手に入れた孤独を侵害する。
自分から逃走する子供をけっして尊重しない。
孤独は真の自由と独立を育むから。

トウモロコシ依存率

トウモロコシは稲科の植物である。
種子の胚乳に含まれる角質デンプンがコーンスターチである。
安い麦酒は麦芽、ホップ以外にコーンスターチを混ぜて作る。
原料の麦芽比率で麦酒と発泡酒が決まる。
牛肉も鶏肉もトウモロコシを原料としている。
ガソリンに混ぜるバイオエタノールもトウモロコシから作る。
国産の肉を食べ、国産の麦酒を飲んでいても、
われわれの体は輸入したトウモロコシでできている。
そして、アメリカの農民は補助金で
これらの加工用のトウモロコシを栽培する。
アメリカの農民も農作物を自給自足しているわけではない。
彼らのほとんどは、農業で稼いだお金で食料を購入している。
人間の主食として利用されるは生産量の3割程度である。
単なるコングロマリットの分業だ。
国防のために正味の自給率を守りたければ、
トウモロコシ依存率を低下させればいい。
牛は穀物ではなく牧草を、
日本人は牛や鶏ではなく、
できれば玄米を直接食べるべきだ。
そして、お酒は日本酒がいい。
できれば、麹とお米から直接自給すればいい。
アルコール生産もトウモロコシ依存症から抜け出すべきだ。

想像力

複雑な仕事は、専門分化した結果である。
退屈な仕事は、簡単な仕事を専門家に任せた結果である。
こうして、人を楽しくさせるばかりか、
より包括的に思考できる仕事を選ばない
専門分化した想像力が生まれている。

方法

人間は小さい存在だ。
だから、より小さい存在を探求してきた。
この1世紀間で原子を構成する素粒子の存在まで確認した。
それは、より大きくなる方法よりも、
すばらしい方法だった。
いまや太陽の有限性をも説明できる。

消費者庁

一カ所に集中させた消費者庁の機能確保に支払われる家賃は、
年間8億円である。
一台の車が平均10万点の精密部品からなる量産型産業が、
国内外の工場を分散型で形成し、
競争相手である他社と安全でローコストな共通部品化を図っている時代に、
消費者からの電話窓口として、
また事業者からの重大製品事故情報入力から
食品を含む多様な量産型製品の欠陥を分析する
消費者庁の主要な任務もまた、
各地方の格安の分散型オフィスで機能できる。
製品のユーザが、いまや国内外を自由に移動している時代に
消費者の利益に反する情報入力の窓口が物理的に
どこにあるかは重要ではない。
そして、
消費者の生命・身体の安全の確保に
事故情報を一元的に集約するカスタマーセンターは、
各担当者の個人名を公開した上で
つねにフリーダイアルで繋がるべきである。
(電話窓口としての情報入力機能に限って言えば
各担当者は在宅勤務でも可能である。)
国会議事堂の前にある非分散型の消費者庁は、
19世紀の固体的概念で作られている。

情報化と経験化を越えて

情報化社会では、
経験したことだけで考えるのは危険だと教育される。
だから情報を共有(=情報化)してから考えようとする。
しかし、信じやすく騙されやすいこの方法こそがただの情報に過ぎない。
経験に基づいて思考する経験化社会では、
経験はほとんど共有できない。
経験は星の数ほどあり、
想像力を越えて経験相互の関係数は増大するばかりだから。
産業は、専門分化された経験のみを共有する経験化社会に属する。
科学は、経験を一般化する原理化社会に属する。
たとえば、浮力原理の発見よりも前に船はデザインされ、
準結晶は合成された後に
5角形を含む空間充填システムをもつ準結晶理論が形成され、
第3の炭素結合が超伝導・半導体の機能を形成する
原理の発見以前に、フラーレンが合成された。
つまり、科学は異なった人間の経験から
経験を越えたメタフィジクスにはじめて到達する。
この経路によって、経験相互の関係数は劇的に減少する。
原理以上に包括的に理解され共有できる最小限の情報はない。
原理は人間が情報化する前に、
非人格的にすでに宇宙で共有化されているのである。