月別アーカイブ: 2010年5月

反対称的存在

この幾何学的オブジェを対称性の概念で、
それゆえに美的に扱いすぎていないだろうか。
圧縮力と張力からなる動的な相互作用を
<非鏡像的な相補性>で思考する反対称的な概念
(=不連続な圧縮材を連続した張力材で統合するシステム理論)は
半世紀前まで存在しなかった。
真の構造を認識した瞬間に、
他人によって誘導されるか、
強要された多くの表面的な振る舞いに埋没した
記号的すぎる現実を暴き出すシステムは
テンセグリティ・モデル以外には存在しないだろう。
慣習的に容認された権力のテクノロジーの企みから
完全に絶縁している反対称的存在は
宇宙のテクノロジーに属する。

映画

映画では人が生まれるより
死んでいく場面のほうが圧倒的に多い。
人口増加に対して映画のシナリオは
もっとも敏感に対応している。

検索

思考は出来事の相互関係の最小限の集合から形成されるが
ニュースは出来事の断片の集合から成る。
これらの集合は
結合と分離を繰り返す化学結合のように
情報の無限の組み合わせを生み出している。
検索機能のない新聞やテレビ、そして出版は
すでに廃れている。

間違い

教師がいなくても多くの間違いから
子どもはかなり知的になるので
間違いを怖れるように教育することが発明された。
こうして、
「どうして転けたの?」という母親が生まれている。

不連続性

3日前に誰かと交わした会話が私の思考に影響を与えることはあるが、
3日前に誰かと一緒に食べたランチが
現在の私の体にどのような影響を与えたかは
まったく知ることはできない。
食べることは、思考以上に無意識に包まれている。
しかし、アミノ酸を合成できることと
人間に必要なアミノ酸の成分の量と配合が不明確であることは
不均衡な知性に違いない。

包括性

優れた教育は
優れた学生ほど、優れた専門家になりたがる傾向を生んできた。
これまでに分かったすべての生物学的絶滅が
過度の機能の特殊化、つまり超専門分化に起因しているにもかかわらず。
より高い包括性に無関心になるほど危険な教育はない。

現在

概念を一般化したければ、
完全に混乱させられた現在に帰らなければならない。
そこには純粋な問題がある。

例外的

われわれが利用する空間構造の99%は
まだ圧縮力に依存している。
それらの空間の構成要素を形成するすべての原子は
張力と圧縮力とが動的に均衡する相互作用からなるにもかかわらず。
これは太陽系では例外的な物理現象であるといわざるを得ない。

レシピ

料理は素材と道具という既製品の組み合わせだ。
そのオリジナルがあるとすれば、
独自な経験から生成される見えない生化学反応である。
同様にシェルターも既製品からデザインできる。
構造は既製品から構成されるどんな部分からも
けっして予想できない
見えない力学的な相互作用の統合に関わっている。
料理も構造も
経験に基づく自己のテクノロジーを含んでいる。

編み物

天気のいい日に
蟻は大きなビスケットを一日かけて運ぶように、
女性は公園でセーターを1ヶ月かけて編む。
雨の日に
漁師は大きな網を仲間と一緒に編むように、
シナジェティクスを学ぶ学生は、
ジオデシック・テンセグリティを1ヶ月かけて
アセンブルするできる。
この移動可能な球状のセーターの寿命は
実験から半永久的である。
自然は本質的にユニットからなる編み物が好きだ。
(実際、炭素繊維は炭素からなる
最小限の正4面体のテンセグリティ・ユニットの集合である。)