基礎という概念は大黒柱の別名である。
共に圧縮を引き受ける特別な場所である。
他の部分よりより重要な部分の存在は
共産主義であろうが資本主義であろうが
生まれる前からシステムに組み込まれる。
基礎構造
基礎デザイン
基礎知識
基礎研究
基礎科学
など、
すべての超専門分化によって、
絶えず人間の認識上の壁はくまなく強化される。
特別な場所を守るために。
そして、
ついに基礎から始める教育システムを
盲目的に容認することになるが、
「部分から推測できない全体のシステム」の存在を認識する
人間の先験的能力は除外されたままだ。
テンセグリティの基礎構造がない革命に関して
社会は半世紀間も沈黙している。
(スネルソンのようなアーティストが直感的に美的な価値だけを複製したに過ぎない。)
シナジーに基礎と応用との相互関係は存在しない。
つまり、
デザインサイエンスはシナジェティクスの応用分野でもない。
シナジェティクスの学習プロセスもまた
基礎(下部)と応用(上部)には分割されないのは、
包括的理解は上・下ではなく全方向的だからである。
(経験と直感ではない直観によってシナジーを自ら発見し
人類に教育できるアーティストサイエンティストは
いまのところ軍事産業に吸収されている。)