昨日の午後、注文しためがねのレンズを2時間かけて交換した。
はじめて会話する若い担当者の紋切り型の接客態度と
その交換技術を見ていると寂しくなる。
新たな人格に変貌したければ、転職すればよい、
立場が変わるたびに、たずさわる言葉が変わる、
と考えている人間が私の視野を交換したからではない。
彼は眼鏡屋という専門分化で生きているが、
想像したとおり、いつ誰がレンズを発明したかを知らなかった。
イデオロギーは選択できないが
人格は交換可能な時代を生きている。
(もちろん水晶などの鉱物レンズの発明年代などだれも知らないが、
ラフェエロが近眼鏡をかけたローマ法王の肖像を描く以前に
凹レンズを近眼鏡として使用していたのは15世紀である。
凸レンズの発明の方が圧倒的に先行していたけれど、
望遠鏡が発明されたのは17世紀である。
より近くよりもより遠くを見る機能の開発は
明らかに当時のイギリス大英帝国の海上における
軍事技術の要請からだった。
視野は本来、交換不可能だ。
鳥や馬、そして蝿、トンボのように。)