月別アーカイブ: 2010年9月

消費税

自然は生産をあまりにも重視し、
消費をあまりにも軽視しすぎると言うことはない。
なぜなら、
20世紀の物理学は宇宙のエネルギーは増えも減りもしないことを発見し、
生産と消費は、人間の始まりと終わりの概念から
生まれることがわかったからだ。
エコロジーは生産と消費の専門分化を否定しなければ、
理解できないと言う意味で
エコロジーの専門家は存在しない。
エネルギー生産と消費の概念は
人類に課金するために利用されている。
(経済学者や政治家を使って民主的に合議的に)
グランチが空気に課金できるテクノロジーを所有すれば、
65億人の空気消費税で賄えるかもしれないが、
同時に、彼らのこしらえた生産と消費の概念を適用すれば
グランチは疑似エコロジー的に植物に酸素生産費を
払うべきである。

交換技術

昨日の午後、注文しためがねのレンズを2時間かけて交換した。
はじめて会話する若い担当者の紋切り型の接客態度と
その交換技術を見ていると寂しくなる。
新たな人格に変貌したければ、転職すればよい、
立場が変わるたびに、たずさわる言葉が変わる、
と考えている人間が私の視野を交換したからではない。
彼は眼鏡屋という専門分化で生きているが、
想像したとおり、いつ誰がレンズを発明したかを知らなかった。
イデオロギーは選択できないが
人格は交換可能な時代を生きている。
(もちろん水晶などの鉱物レンズの発明年代などだれも知らないが、
ラフェエロが近眼鏡をかけたローマ法王の肖像を描く以前に
凹レンズを近眼鏡として使用していたのは15世紀である。
凸レンズの発明の方が圧倒的に先行していたけれど、
望遠鏡が発明されたのは17世紀である。
より近くよりもより遠くを見る機能の開発は
明らかに当時のイギリス大英帝国の海上における
軍事技術の要請からだった。
視野は本来、交換不可能だ。
鳥や馬、そして蝿、トンボのように。)

ノウハウ

大企業は天然資源の情報( know where)を独占し、
専門家たちは特許にも公開しないほどの
技術情報(know how)を独占している。
頭のいい学生たちがその企業や専門家に憧れるとき、
情報を独占したいという強い動機づけがあるわけではない。
家族とよい暮らしができるという見返りで、
目的意識(know why)の芽生えた若い優れた頭脳を
素早く分断していくために、
人間の利己主義と人生の保証につけ込む
ノウハウがある。
そのノウハウには社会のモラルを効果的に支配する方法を含むが
グランチはそれ以上の発明はしてこなかった。
彼らが地球の稀少元素を独占しているかもしれないが
それらを自発的興味から発見したことは一度もない。
その結果、家庭でさえも、
目的意識がなくとも富の蓄積を優先する考えが
模倣される場所となった。
こうして興味がなくとも
お金持ちになるための職業に憧れる条件反射が形成され
利己主義を発展させる近視眼的な子どもたちが
両親によって教育されている。
競争によって
より奪われていくノウハウの餌食である。

基礎という概念 2

基礎という概念は大黒柱の別名である。
共に圧縮を引き受ける特別な場所である。
他の部分よりより重要な部分の存在は
共産主義であろうが資本主義であろうが
生まれる前からシステムに組み込まれる。
基礎構造
基礎デザイン
基礎知識
基礎研究
基礎科学
など、
すべての超専門分化によって、
絶えず人間の認識上の壁はくまなく強化される。
特別な場所を守るために。
そして、
ついに基礎から始める教育システムを
盲目的に容認することになるが、
「部分から推測できない全体のシステム」の存在を認識する
人間の先験的能力は除外されたままだ。
テンセグリティの基礎構造がない革命に関して
社会は半世紀間も沈黙している。
(スネルソンのようなアーティストが直感的に美的な価値だけを複製したに過ぎない。)
シナジーに基礎と応用との相互関係は存在しない。
つまり、
デザインサイエンスはシナジェティクスの応用分野でもない。
シナジェティクスの学習プロセスもまた
基礎(下部)と応用(上部)には分割されないのは、
包括的理解は上・下ではなく全方向的だからである。
(経験と直感ではない直観によってシナジーを自ら発見し
人類に教育できるアーティストサイエンティストは
いまのところ軍事産業に吸収されている。)

基礎という概念

すべての構造は重力なくしては成立せず、
建築構造は大地との結合なしでは成り立たない。
構造の自重は大地に流れていく。
しかし、
巨大な鉄の塊を船のような器にデザインすると、
浮力という重力の反作用によって、
海上または海中を浮遊する構造となる。
テンセグリティにおいては、重力を張力に置き換えると、
大地との結合から自由になり、大気圏を浮遊する構造になる。
テンセグリティ原理を利用する
原子核や細胞から、基礎という構造を取り出せないのは
張力が基礎との絶縁から生まれるからである。
基礎という概念は、
数万年間、構造に対して抱き続けている
人間の認識上の壁なのである。
そもそも重力は断面積がゼロの非物質化した張力材であるという認識は
シナジェティクスによるテンセグリティの発見を
待たなければならなかった。

Twitterの機能

人々は友人より知人のほうが多い世界を望んでいる。
どこにいても自分の状況を知人に知らせ
同時に知人の状況を把握できるテクノロジーは、
やがて誰のことばにも口を挟むが、
口数は少ないほどよいモラルを生んだ。
沈黙には堪えられない人々の機知である。

平均的人間

家は、地上における住むべき場所に適応するために、
大きな距離を短時間に安全に移動する航空機や自動車のように、
デザインされてこなかった。
しかし、いまや平均的な人間でさえ
3年に一回の割合で引越しをしている。
高齢化と出生率の低下で
都市でも農村でも誰にも貸せない空き家は増加している。
空き家とは、
高価すぎる移動しない、しかも短命な道具を
個人が所有しすぎた結果である。
有機体生命が必要とする真の機能は
未だデザインされていない。
土地資本主義の許認可システムで働く
21世紀の最後の奴隷たちに、
外部化すべき道具のデザインを依頼してはいけない。
彼らに宇宙の要求に基づいた諸機能が意識的にデザインできない以上、
富は失われるばかりだから。

耕起民族

畑が絶えざる耕起で枯渇していくのを見て、
有機物を投入する方法を採用する
「農業経営体」という商業主義的農業者のほとんどは債務者である。
真の富の源泉は銀行に所有されている。
この5年間で農業労働者が20%以上も減少した理由である。
(高齢化によって農業をやめた人が増えたことが主な要因だとしたら
現在の都市人口の増加を説明できない。)
過剰な有機物が投入され、雑草のない畑からのほとんどの収穫物は
カボチャでさえ、1週間で腐敗している無農薬農業を
エコロジー的に肯定しているかぎり、
耕起民族は危険な債務者である。
不耕起の尊さを知るまでは、いかなる民族も栄えない。

より新しい情報

パソコンの個人購入と学習によって、
人々は未来の労働から軽減されたがったが、
ネットワークの統合によって人々は見事に
これまでなくより巧妙に搾取されてきた。
消費は条件反射的な隷属から人々を解放しない。
隷属から人々を自由へ解放するのは
思考である。
その思考の道具は言葉である。
つまり、グランチは
言葉を条件反射的に消費させれば
思考方法は変わらないことに気づいている。
入手可能なより新しい情報が
より好きになっている情報グルメ以上の
隷属はないに違いない。
より少ない言葉から
人間の思考は成り立っている。

思考力

才能ある若者が
記憶力に優れた知識人への願望に支配され過ぎると
よい思索者になれない。
その記憶のほとんどは
たいてい読書や音楽(そのすべてはもうじきインターネットにある)に
費やされるか、
あるいは、
その優れた、しかし、平均的すぎる条件反射的な読解力によって
自分自身の主観的な記憶や曖昧な出来事を
忘れることに費やされているからだ。
主観的な記憶や曖昧な出来事のカテゴリーは
記憶力ではなく、
行動によってはじめて客観的に分類できる。
単に記憶力に優れた知識人が、
すでに、僅かな電気エネルギーで不眠不休で働く
サーバー(記憶奴隷)によってほぼ陳腐化している時代こそ
行動の時代だ。