月別アーカイブ: 2010年9月

可能性と確実性

可能性とは何か
真の機能がまだ発見されていないが、
想像した美点ばかりで
自己変革と無関係に
観察から組み合わせたアイデアである。
では、確実性とは何か
その組み合わせたアイデアからは
経験的に世界は変えられないから
他人から理解されるアイデアで構成することで
失敗を免れたい時の選択肢の一つ。
なんという思考の無駄遣いだろう、
原理の存在を除外しているなら。

芸術教育

労働からの恐怖に
芸術が利用されることはないが、
労働による自由の獲得に
芸術は利用される。
自分の芸術以外のことは
何もしない芸術家を夢見ていた芸術家は
たいてい教育者になっている。
20世紀の超専門分化によって
芸術はもっとも利用されやすい
専門分野になっている。

隣人

私は、ついにエアコンを使わないで、
窓とドアを開けてこの夏を過ごした。
畑を隔てた隣の家族が何人いるのか未だに知らない。
きっと来年も彼らの名前も知らないだろう。
インターネットのある寂しくない田舎は私には便利だが、
私の選んだ無意識は
北半球の人間は南半球の人間がどんな生活をしているかを
知らない理由を説明できる。

瞑想

畑は3年もすれば鏡のようなものだ。
畑の私に対する態度は、
私の畑に対する態度そのものと考えていい。
そして、
さまざまな畑と田んぼが
絶えず人間について対話している。
その鏡の背面で。

インテグリティ(統合力)

言葉を単純にするのは知識ではない。
経験である。
理解を単純にするのは経験ではない。
統合力である。
統合力は
けっして人間独自の仕事ではない。
それは人間をとおして
流れ出るだけのものである。
統合されたものは
物質であれ、人間であれ
信頼できる完全性、
ある種の高潔さを備えている。

鋳造技術

貨幣は印刷された自由である。
お金は自由と交換できるが
しばしば鋳造された偽の幻想にすり替えられる。
印刷されたすべての富は
われわれの実際の借金である。
この単純すぎる経済原理を発明したのは
自由を鋳造し、欲しいだけ貨幣を印刷している連中、
グランチである