月別アーカイブ: 2010年10月

会計システム

会計学とは何か。
この世のすべての富とすべての借金を足すと
ちょうどゼロになる。
言い換えれば、誰かの富は誰かの借金である。
(会計学からみれば、あらゆる戦争は時代遅れである。)
いま日本人の借金は1300兆円を超えている。
それはすでに日本人の預貯金総額を超えたのである。
しかし、金利がある限り、
今後1世紀以上も返済できない数字である。
(世界中の植民地の教会で最初に教育されてきたのは
英語と金利計算のための数学である。)
全てが失われようとも、まだ未来が残ってるという
経済的幻想に対して
人々は相も変わらず「システム」と呼んでいる。
課金システム以上に略奪するシステムは
もっとも非人格的に成功してした会計システムだ。

言葉

新たな発明を理解するために
先行技術調査から始めるのは、発明者ではなく特許審査官である。
類似した特許を裏付ける技術またはその起源を探せない審査官はいない。
すでに決めている視点を他の発明や研究から探すのが得意な人は
研究者に限ったことではない。
その方法は新しい視点を生むことに対しては不毛である。
発明や発見は先行技術という事実を探すことからは始まらない。
発明の真の有効性を検証するには、
事実よりも発明にかかわる概念がどうあるべきかという
作業仮説をもたなければならない。
優れた発明はしばしば
よく知られた言葉を解体する。
さもなくば、
新たな言葉を創り出す。

リンク数

知ることはリンク数に置き換えられる。
同時に、受け入れる頻度とその傾向を表している。
しかし、完全理解とはリンク数ではない。
「理解」という言葉の意味が、
複雑な概念を分解し、より単純な概念に還元することだとしたら、
「理解」には統合という役目が欠落している。
経験された異なる事象を
相互に秩序づける試行錯誤がないかぎり、
「理解」された相互関係数は増大するばかりだ。
相互に秩序づける試行錯誤に
いまのところルール(または秩序)を発見できていないので
しばしばその方法を探査する人間を
無意識に独創的と言い換えている。
しかし、この言葉さえ危うい概念だ。
人間が「独りで創り出す」ことなど宇宙に存在しない。
言葉という道具の起源もまた
貨幣のように
問われることは稀なのだ。

コレクション

魅力的なモノやヒトは互いに引き合う。
だからといって
自分の空間にコレクションする必要はない。
引き合う力は
互いの距離を超越しているから。

科学的

自然を観察することから科学教育は始まるが、
自然とともに生きることを教育しないのは、
科学的ではない。
この半世紀間、世界中の頭のいい子どもは
みんなより大きな都市に移動するように教育された。

より張力的に

政治や経済は
権力でより統合されている。
人々は圧縮の概念で行動する。
プレッシャーを与えたり受けたり。
しかし、圧縮には限界がある。
合金や細胞、そして
私の机の上のテンセグリティモデルを含む
宇宙は、
つねに張力で統合されている。
張力は長さに限界がないからだ。

自然

混乱したときにのみ秘密を打ちあけるのは
エゴイストだ。
思慮深く行動するには孤独な勇気がいる。
最良の思考法に到達するには、間違いは回避できない。
しかし、自然でない行いから自然を学ぶことはできない。

シナジェティクス

宇宙に周期はあっても休暇はないが、
私の仕事はこのところ
周期もなく日曜日もない。
構造という秩序の森に分け入って
出口が見つからない。
出口とは物質化のためのデザインだ。

メガストラクチャー

バックミンスター・フラーは素晴らしいシェルターをつくるが、
それは彼が他に何もつくれなかったからではない。
だれも他人のために彼のような目的を持たなかったからだ。
1927年に50年後の人類には、
2億機の住宅の生産が必要だと予測していた。
われわれは既に2億台の自動車を生産してきたが、
2億機のシェルターの生産を計画する建築家はいない。
ハイテクなメガストラクチャーでさえ、受注生産方式である。
エデンドームでさえ同一のデザインは僅か一カ所にしか存在しない。
建築産業は時代遅れである。
優れた建築家ほど、
アーティストのような作品集をもっているかぎり。
(その作品集こそ、印刷という複製技術から作られているはずだ。)