月別アーカイブ: 2011年2月

記号

起源の実情をだれにも分からないように
理解させているのは
記号のテクノロジーである。
「個人」という記号が
分断された意味と目的の寄せ集めか
その組み合わせだけで”成立してしまい”
その起源を知らなくとも
なんとか切り抜けられるのは、
自分をあざむいていることにさえ
気づかないまま
人生をあまりにも重要なものと
思わすことができるからだ。
ほとんどの記号は個人よりも
リアリティに仕えている。

(続・続)認識

「空を飛べていたらなぁ!!」
I wish I could have flown.
過去の事実と反対のことを言う構文は日本語にない。
仮定法過去完了型思考の始まりは
英語圏かその占領地区で過ごす思春期の英語の授業からである。
大多数が過去の事実と反対のことを言う習慣は
軍事テクノロジーからみれば好都合である。
個人が現在の産業テクノロジーに託す
仮定法過去完了でなされる空想的願望のほとんどすべてを
軍事テクノロジーは
つねに30年以上も先行して実現できるほどの非同時性を誇る。
軍事テクノロジーとは
仮定法過去完了型思考を陳腐化すると同時に
言語の未来形をも不要とする
概念の物質化でもある。
軍事テクノロジーを推進するための
認識システムと表裏一体のこの現金化システム(realization)に
世界の富の過半数が毎年費やされている。

認識(realization)

認識(realization)とは
現実化すると同時に現金化(=換金)する行為である。
英語圏では
現実化と現金化は同じ言葉(realization)で統一されている。
つまり、この概念を言い換えると
現金化できないことは理解できないことである。
自分に理解できない子どもの構想や計画に
教育費を支払おうとしない両親の認識を支えているのは
この現金化と不可分な認識システムにある。
言葉によって
社会的理解とお金とを相互に作用させる制御機能が
お金自体に付加される。
これをデザインする側は
経済学者や言語学者を雇用するのではなく
最初に軍隊を所有している。

自発的狂気

お酒を嗜みたい状態と
酔っぱらいたい状態とを区別できない場合
その違いは
密かな狂気に期待するかしないかで決まる。
飲酒を自発的に誘導する狂気は
社会に豊富にある。
たとえば、泡だった冷えたビールの豪華なTVコマーシャル映像。
これこそアル中患者が考え出したイメージだが
社会はこの自発的狂気を放任している。
酒税を稼ぐために。

(続)ワサビ

自身が生成する殺菌物質、
この物質こそ、ワサビの周辺に
一般的な植物が生えないようにしている
排他的物質である。
しかし、この物質は自らの成長をも抑制している。
ワサビが大量のきれいな水のある場所に
生育が限定されるのは
この排他的かつ成長抑制物質を水で洗い流して
より大きなワサビを収穫するためである。
根が長く太ったワサビは自然界には稀である。
ところで
私は自然界には稀なワサビだけを
このところ食べ過ぎたようだ。

ワサビ (山葵)

ワサビは水が綺麗でないと栽培できないのではなく
砂地などの透水性が良い土壌であれば
ワサビほど水をきれいにする植物はないのである。
生命力が強いので、栽培は簡単だ。
根の断片を土中に埋めるだけで砂地でなくとも
容易に発芽する。
根の先を下ろし金で摺り下ろされたワサビでさえ
冷蔵庫の中でも何日も鮮度を保っていられるのは
自身が生成する殺菌物質のお陰である。

(続)自然の構造

しかし、「自然に学べ」さえも
貧しい命令形で終わったままの
空疎な試行錯誤である。
自然に学ぶよりもまえに
自然から生まれている構造が
言語と視覚だけでは見えないのである。

自然の構造

標準化した基準(de facto standard)とは
作られたがった事実である。
言葉と事実が結びつくには
標準化した基準の容認よりも
行為というかなりの試行錯誤が必要だ。
自然に学べとは何か。
愛情に溢れた両親が使う
標準化した言語よりも
自然は原理という普遍文法を創出しているという
編集できない事実を知ることかもしれない。
自然は法則以上に
局所的経験を標準化しない。

(続)熟考

熟考という
包括的な関係づけ(consideration)は
アイデアという投機(speculation)や
突然の妙案(brainstorm)とも異なる。
「無限の情報を内包する」現実を
獲得する唯一の方法は
熟考である。