幼少の頃の私は
歯茎から出血のつづく原爆症に苦しむ母を
理解できなかった。
母は被曝をあまりにも重要な人生の一部だと思っていたので、
ほとんどその話をすることができなかった。
私の家族は四季を通じて
豊かな家庭菜園場にある井戸水で暮らしていた。
いま思えば、
そのときでさえ、
家族全員の内部被爆は続いていた。
その共同の菜園場は
爆心地から5キロ以内の
父が建てた小さなバラックに隣接していたから。
セシウムは
核分裂によって
はじめて
人間の人生よりも短く輝くことができる。