月別アーカイブ: 2011年6月

ブナの森

注水量から1日100~200トンの水を
蒸発させる4号炉の熱源に
驚いてはいけない。
ブナの原生森は
その何千倍もの水を
無数の葉から蒸発させて
森を覆う以上の雲を生成している。
太陽光だけの常温常圧で
そして
秋にはそのすべての葉を
大地に捧げるのだ。
貯水して
森の外で生きるすべての生命を
もう一つの森(=海)に移動させるために。

(続)構造

グランチは見えない構造で
人々を搾取してきたが、
グランチは自然の構造までも
支配できなかった。
彼らの戦略は
自然のように構造化できなかった。

構造

構造を主体的に変えられない。
構造は経済的に換えらない。
構造を政治的に代えられない。
構造はイデオロギー的に替えられない。
流転して自己破壊する現象は
主観的に傍観できるだろう。
社会は構造を定義していない。
原子核構造以上にはまだ定義されていない。
われわれは構造の安定性を
冷温停止状態と定義したに過ぎない。
もっとも安全な構造を
<運転停止>に求めているが
宇宙の核反応を人間はけっして停止できない。
宇宙の構造は
つねに客観的に
エネルギー的にのみ動的に変換されている。
宇宙の構造に停止を望むことは
主観的にしかできないだろう。

外破と内破

このところ目がさめてもやはり
福島原発3号炉の核爆発のシーンが脳裏から去らない。
被曝のメカニズムについてのシナジェティクス的考察を
2009年7月9日の<犬のしっぽブログ>から引用します。
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キノコ雲の外破と内破
真空管が破裂することを、内破(implosion)という。
内側に向かって爆発するという意味である。
ヒロシマの原爆は、空中爆発(=外破explosion)であったから
爆発と共に強大な球状空間が真空化され、
ついに、内部に強力な吸引力が発生した。
このもう一つの重力はやがて、上昇する螺旋運動を形成し、
キノコ雲の球体を形成した。
原爆はけっして都市を吹き飛ばす爆発力だけではない。
原爆の瞬間を表したヒロシマ原爆資料館の最新のCGのように、
爆発の放射(=圧縮力)のみに注目する原爆の物理学には、
内部への吸引力としての張力は不在である。
秩序を見分ける方法は、
もっとも大きなパターンの存在を発見すること以外にない。
そのパターンは、概念によってはじめて投影される。
<外破と内破は核爆発では非同時的に発生する。>
kinoko_01.jpg
映像1
最初の原爆のニュースは、共同通信社の特派員による手書きのイラストだった。
キノコ雲の下には、巨大な螺旋状のトルネードが描かれている。
kinoko_02.jpg
映像2
アメリカ空軍が撮影した高度1万メートル上空からのキノコ雲。
キノコ雲よりもトルネードの方が黒いのは、爆発によって形成された放射性物質を吸い上げているからだ。このキノコ雲は排気と吸引の機能を持っている巨大な掃除機と考えられる。電気ではなく、原子力で作動した最初の掃除機だ。
多くの瓦礫と死体、そして元安川の水を大量に吸引した。
これが後の黒い雨となって落下した。
ヒロシマに川がなければ、もっと被爆者は少なかっただろう。

想像力

放射線が大量に出ると人々は
短期間に宿命論者になり,
薬物・アルコール依存,失業,無気力をもたらす。
そして、政府はお札を欲しいままに刷る。
緊急事態の想像力はそれだけ?
母は被曝から半世紀以上も生きて
被曝しない民主主義を夢見ていた。

呼吸

奪う側が
譲渡と贈与を発明した。
人々は貧しく
それらを愛の行為のように感じたから。
ついに、北半球から
放射性物質が無償で譲渡された。
すべてを包む分割不可能な大気こそ
最初に与えられた無常だった。
奪う側すら
自然に呼吸回数が落ちていく
哺乳類になろうとしている。

(続)相互作用

自然との相互作用を
意図的に
そして確実に
排除するシステムに
支配されているから
われわれの健康は
当てにならない
幻想的な基準になってしまった。
被曝するとこの基準は
さらに低下する。
そして、ついに
病気は遅れてやってくる。

相互作用

原子さえも、
エネルギー条件がそろっていなければ
最初の構造ではいられない。
原発問題は
「われわれの欲望と向き合うことを強要させる」のではなく
われわれが
最大規模の世界権力構造の欲望と向き合って
無数の死や絶望
そして
数えられない敗北すら
受容していく
最大規模の同時的・非同時的な
「人間が作ったもの」との相互作用なのだ。

決める力

誰が決めるのか

誠実に生きることは
本来、同じ問題だった。
人々は稼いで生きるために
権力に屈してしまうことに
風景のように馴染むので
これらは別々の問題に見えはじめた。
そして、
誰に決めて欲しいかに
すり替え
誰が誠実に見えるかで
問題を傍観し
人々は決める力を
あまりにも簡単に
代理人(=政治家)に与えてしまった。
真実を知り、
現実を決める力を
譲渡した夢想家たちには
もはや夢から覚める
エネルギーさえないのだ。

方法

α線ではなく、
朝日で目覚める生活が懐かしい。
光合成の傍で暮らす夏の日々はもう望めないが
雨上がりの畑に最後の苗を植えよう。
今は植物と一緒に暮らす生活よりも
その方法がより重要になった。
方法こそつねに
重さのない
移動できるトリムタブ(trimtab)だ。