元来、どうしたらよいか判断に迷うときは
自分に対しても他人に対しても
「迷惑かそうでないか」の識別によって
考え分けるようにされてきたが、
最近はその起源すら忘れられている。
ひとに迷惑をかけないよう生きていたい
若い人が増えているという話を
若い編集者から聞いた。
実際、国家がこれほどまでに
人々に迷惑をかけている時に
いったい何が起こっているのだろうか。
どうしていいか分からないという
最大規模の「非常事態」が
国家の意志によって隠されている事実を
彼らはどうやって言語化できるのだろうか。
否、
「国家によって」ではなく
「言語によって」それが隠されているのだとしたら
記号言語のテクノロジーは
ついに国家をも支配している。
これはまったく新しい現実ではないだろうか。
自分に対する迷惑の識別が消えていく現実は
自己への配慮を欠いた
自滅的な世界に接近している。
痛みを知覚できなくなった神経細胞のように。