月別アーカイブ: 2013年1月

自由について

植物は生き延びるために
発芽する自由と
発芽しない自由を作り出した。
見知らぬ場所まで運ばれても
見覚えのある環境が現れるまでの
時間に耐えられるから。

エコノトリックス(経済的幻覚)

経済のトリックに再び惑わされてはいけない。
ーーーー奪うか奪われるかのトリックに。
リアリティの99.9%はつねに不可視である。
自然のすべてはトリックと異なり
経験的に証明不可能なマジックなのだ。

張力について

張力は物質の表面に現れやすい。
それゆえに、それらは至る所にいつも豊富に存在する。
たとえば、葉の表面の無数の水滴や
バイオスフィアを包む薄い厚みの海水や大気圏。
不連続な存在をもっとも効果的に統合するための
無数の内部が利用されていないだけだ。
張力に包まれることよりも
空間を閉じることに
エネルギーを使いすぎている。
圧倒的な見知らぬ他者に利用されないように。

エフェメラリゼーションについて

「形態は機能に従う」
これは20世紀の家電や自動車と住宅を
量産する時の優れたデザイン思想であった。
しかし、形態に魂を奪われる哺乳類の特徴が
それらの産業化を加速したのかもしれない。
自然界では
機能が形態を生み出すのではなく
もっとも効果的な機能は不可視になる。
ーーーーーたとえば重力や風のように
真の機能はモデル化できても
形態化できるとは限らない。
これがデザインサイエンスにおける
エフェメラリゼーションの思想的根拠である。
つまり、現在は科学的原理の発見によって
形態(form)からシナジェティクス(model)へ移行する
懐胎期にある。

富について

エネルギーを生産する側が
資本投資したと主張するテクノロジーは
奪うために生産されているかぎり
それらはあまりにも短命すぎるか
高価すぎる。
バイオスフィアは蓄積された
富そのものである。
富を奪うテクノロジーは
宇宙では例外的である。

類似について

経済学ではなく
銀行制度と通貨制度との
もっとも単純な関係を理解したら
だれも「生活費を稼ぐ」ために
会社や学校に行かないだろう。
会社や学校に行けば行くほど
言語記号と権力構造との分離が
確立できないように作られている。
すべての思考が類似することは
産業革命的以後の課題だった。
記号で支配される人間の量産は
遺伝子工学よりも成功している。