当時シルクスクリーンの印刷工だった私は
休日にテンセグリティモデルと
ベクトル平衡体モデルを制作しても
シナジェティクスを理解できなかった。
そもそも英語が読めなかったせいにしていたが
その魅力は脳裏から去らなかった。
————完璧な3Dでインプリントされたのだ。
40年前に遭遇したこの出来事は
バックミンスター・フラーに会う十分な動機であった。
最初の論文のスパーバイザーは
バックミンスター・フラーであったが
彼は英会話の素晴らしい最初の教師だった。
私が最初に書いた論文は、最初に印刷された数学論文となった。
私が完璧な<レイマン(layman)>からスタートした事実は
論文を書くよりも重要だった。
これほどまでに単純で個人的な関係を選択できたのは
バックミンスター・フラーが完璧な<レイマン>を理解する
真に知的な教育者であったからだ。
現在の知的産業社会が教育に期待するのは
私のようなレイマンではなく、超専門家たちである。
彼らが教育カリキュラムや株価、
そして、原子炉を設計している。