何を食べるかで
農地は変わらない。
どこに集めても
半減期は変わらない。
誰を選ぶかで
負債は変わらない。
何を与えるかで
だれも救えない。
何を考えるかで
誰も愛せない。
人間はDNAを変えられるが
生物学の範疇にはなかった。
人間は人間を深く拒絶できる
最初の生物になろうとしている。
より奪うことで
より小さい人間を生むように
奪うこと以外の報酬は与えられない
システムを創造したのだ。
もはや、体系化された無知が
生命の再生に関わっている。
月別アーカイブ: 2013年5月
純粋さについて
経験と知識に身を任せ
思考に依存しても
シナジェティクスの純粋さは生まれない。
細胞テンセグリティは観察から発見されたが
テンセグリティは観察から生まれなかった。
顕微鏡が細胞を発見するまえに
細胞という概念が存在していなかった事実は
経験や知識ではなく
純粋さの現れなのである。
知識や経験によって
見えない存在を求めるノウハウは存在しない。
シナジェティクスの操作主義(operationalism)
観察するモデルは
ほぼ同時に観察される概念である。
発見された概念は
非同時的に発見される可能性があるモデルである。
葛藤、混乱、思考の飛躍が介在しない
自己のテクノロジーは
絶えず拡大していく瞑想に近い。
続)Modelability
「形態が機能に従う」思想から
テンセグリティは発見できなかった。
形態とモデルの差異は
フィジックスとメタフィジックスとの差異である。
形態は特殊な経験に従い、
モデルは一般化された原理に従う。
この違いをmodelabilityを通して認識できるのは
シナジェティクスのみである。
秩序について
圧縮力が過剰な構造には
大地からの恐怖がある。
張力が過剰な構造には
大地への依存がある。
テンセグリティは
大地と重力から最初に離脱した
<構造とパターン>であるが
その<構造とパターン>に
どんな過剰も欠乏も見あたらない。
<構造とパターン>には重さがないから。
そして、どんな秘密もないだろう。
完全無欠な原理は
秘密ではなく、秩序だから。
脱獄用シェルター
テンセグリティは
固体的概念のすべてを否定し去った時に誕生した。
つまり構造の定義はテンセグリティよりも前には存在しなかった。
航空機よりも半世紀遅れて
不動の大地への依存から解放された
空間構造が発見されて約70年が経過した。
通勤や通学という概念には
土地資本主義による不動産の所有化が含まれているように
モバイル可能なシェルターには
固体的概念からの脱獄化が含まれている。
大陸さえもテンセグリティのように
互いに振動しながら
球状に移動しているのである。
現状維持について
非有機的生命である
テンセグリティの現状維持とは
共鳴することである。
——-隔たった部分をより統合するために。
怖れや不安があっても
人間には様々な幻想が与えられ
互いに震えないように
全体から分断されている。
人間の現状維持とは
無知をより不連続化することである。
瞬間について
考えること、信じること、知ることを学べるが、
誰も原理を発見する方法を学べない。
自分以外の何者でもない存在を
言葉ではなく、構造とパターンによって表現しようとすることは
簡単ではない。
ほとんどいつも自然を模倣してしまうからだ。
発見する瞬間というのは、自然を知るための抽象化において
もっとも困難な闘いを通して
自分以外の何者でもない瞬間だからである。
その闘いなくしてウイルスのように
構造とパターンの無限性から抜け出す
その独自の瞬間はやって来ない。
modelability
modelabilityに対応する日本語はまだ存在しない。
テンセグリティは形態(form)から離脱し始める
シナジェティクスモデルの一つである。
真の機能はモデル化できても
形態化できるとは限らない。
形態(form)からシナジェティクス(model)へ移行する過程が
デザインサイエンスにおけるエフェメラリゼーションである。
MOX燃料
金持ちが汚染された物を売り、
貧乏人が彼らのためにきれいな食べ物をつくる
という方法がいつでも容易に実行されるかぎり
グランチの法律家資本主義は揺るぎない。
2013年4月15日、700キロのプルトニウムを含む10トンのMOX燃料は
英・フランス軍による厳格な警備体制の中、
福井県にある高浜原発第3号機で使用されるために輸送された。
断層とプルトニウムによる今世紀最大で最強の核拡散実験に
無関心なのは市民ではなく、科学者と技術者とメディアである。
彼らが汚染された物を売る側の富で生活しているかぎり。