スタジオの庭には最近モズが規則的にやってくる。
モズはいろいろな鳥(百種の鳥)の鳴き声を
真似た複雑な囀りができるので
百舌鳥(モズ)と呼ばれる。
そのモズがカッコウに真似て托卵することもある。
しかし、そのカッコウもまた体温変動が大きいので
他の鳥に托卵するらしい。
そうなると、体温変動がより少ない他種に抱卵させる習性は
百舌鳥の場合にはまったく説明できなくなる。
体温変動は自然淘汰の結果なのだろうか。
進化と漸進的変化はつねに混同されている。
月別アーカイブ: 2014年4月
関係性の発見
より多く理解する方法は
より少なく知る方法である。
その方法は、
知識ではなく
知識と知識との関係を
発見する行為から生まれる。
例えば、岩石とミュートコミュニケーションとの関係を。
実用性(utility)
実用性を考える必要のない人々にとっては、
テンセグリティモデルはなんと気楽なオブジェだろう。
フィクションは実用性を怖れている。
衰退の加速度
静かに衰退と孤立化が進む過程で
非常事態によって瞬間的に自己変革に目覚めるられるなら
衰退やトラブルはより決定的に発生したほうが
元来の環境への復活が可能になると期待する人々は
3.11後からは、いなくなっている。
—–尖閣防衛のための親米保守たち以外は
彼らにもはやコントロールできないのは
人口減少と産業競争力の衰退の加速度だ。
そして、彼らの思い上がった歴史修正主義は増大するばかりだ。
もはや株価では誤魔化せないのだ。
続)内部と外部について
それは、自然から隔離するテクノロジーではなく
自然と融合する峻烈な試みから生まれる。
大地を移動するこの宇宙船は
船や自動車、飛行機に比べてまだ不完全だ。
つまり、移動を止めてしまった家に
長くしがみついた結果
内部と外部の生きた相互作用が消滅しかけているのだ。
内部と外部について
アウトドアは
ドアを隔てて内部と外部が存在する家の概念から生まれた。
その内部はドアや壁の厚みで包まれている。
自然から隔離するためのこれらの厚みが
建造コストの大部分である。
永続的な皮膜とモバイルシェルターとの結合方法の
経済的な発明がなければ
紫外線と風雨と外気温の激しい変化で短命に終わるように
皮膜と構造を統合するテクノロジーがなければ
自由と自律から、簡単に分離そして解離される。
内部と外部を隔てるテクノロジーから
モバイルシェルターは生まれない。
という鋳型
他人とは違った人間になることに基づいて
もっと知的になり、もっと明晰で尊敬されるために
思考が他人と異なるように努力する。
これこそが絶えず知的産業社会が
個人に求める個性へのアプローチなのである。
そのアプローチの見返りに
個性に見合った深い安心感を期待しているのである。
しかし、アプローチは対象とするものに接近する方法である。
動機のないまま他人とは違った人間になる方法に没頭すればするほど
言葉や規範、願望によって
がんじがらめにされているのである。
個性は社会が作り出す見えない鋳型なのだ。
生成される中身はどれも驚くほど同型である。
思考方法を壊す思考はその方法からは生まれない。
Think different はすぐれたキャッチコピーであったが
命令形は何の違いも生まないのである。
周期について
自然には習慣は存在しない。
自然には周期がある。
人間は自然の異なった複数の周期に調和できなかったので
人間は無数の習慣を発明した。
<構造とパターン>の発見を鈍らせているのは
習慣が構造なきパターンの反復から成立しているからだ。
発明と発見
「私が発明した」というとき、
その人間は過ぎ去った出来事の記憶の中に
生きていなければならない。
発明という分離的行為は過去の蓄積から生まれるからだ。
「私が発見した」というとき、
その人間は宇宙の記憶に生きている。
単独者として原理を発見したにもかかわらず、
先験的な相互関係を再発見したにすぎないからだ。
副作用(side effect)
混乱から生まれた行動が次の混乱を生み出す前に
概念の牢獄がさらなる次の牢獄を作り出しているのである。
行動がこうした概念の副作用であるであるかぎり
行動によって有益な副作用はけっして起こらないのである。