いかなる種類の静的な安定を
ことごとく排除するシステムに到達している
テンセグリティは自由である。
そのシステムは自然の形態の観察からは発見されなかった。
そして、数学的な探査からも想像できなかった。
テンセグリティは
支配によって獲得する外部の<自由>から遊離して
自律的な<自由(アナーキー)>を具現化している。
けっして孤立しないテンセグリティは
基礎という大地から完全に自律するために
つねに振動によってより旋律的になる。
基礎が固体幻想に支えられていればいるほど
基礎のない自由は拡張する。
月別アーカイブ: 2014年6月
単純さと単純化
相手の想像力を超えるための想像力は
より技巧的で複雑になる。
自然の想像力を超えた単純化は
発見されるのみである。
単純化のプロセスで発見される
単純さはつねに静的ではない。
人間の想像力で所有できないように。
元素の相対的な存在比
人間の宇宙に対する化学元素の相対的な存在比は
同じパターンになるようにデザインされている。
その統合したパターンを見ることができる人間という有機体は
宇宙でもっとも複雑で局所的なテクノロジーの集合体である。
思考の音
自分の思考を声にするよりも
自分の意見を文字で読むようになり
自分の声をほとんど聞かなくなった。
思考は
非旋律的な
無音(ミュート)になりつつある。
シナジェティクス
間違って理解しない限り
未だ理解していない可能性を配慮しない、
という自己との対話方法によって
モデル言語は漸次的に形成される。
シナジェティクスをより深くより単純に学ぶと
結果的にシナジェティクスモデルが
何度も作成されるだろう。
私はテンセグリティモデルを
すくなくとも100回以上は作成している。
バックミンスター・フラーが理解していない可能性を配慮しないまま。
その中のテンセグリティモデルには
1995年に制作した直径11mで
折り畳むことができるテンセグリティシェルターがある。
その後多くの研究者がこの構造システムのメカニズムを
複製したが、まだ誰も<生活器>にはしていない。
井戸端(well)
努力する人は未来を語り、怠ける人は過去を語る。
どちらも今を生きているわけではない。
井戸端で水くみや洗濯などをしながらではなく
日々の稼ぐ仕事の傍らで
ただ語っているだけである。
21世紀の井戸端は至る処に湧き出ているから
かなりの物知り(=a well of information)になっているが
その井戸はどこからでも覗き込まれている。
知性
自分の経験よりも他人の経験を利用する
特殊な知性で生きていけるが
他人のためにその知性はほとんど使われない。
共進化(Co-evolution)
裏庭は森へと続く最初の入口(=背戸)かもしれないが
地下30キロメートルの地殻にまで生存する
微生物圏のサブシステムの出口を構成している。
——–バイオマスの相対比からみれば。
微生物が作り出した膨大な油田と
21世紀にまで存続する石油資本との関係は
地下に長期に埋蔵されたバイオ系エネルギーによる
内燃機関を開発し続ける
一時的で特殊な共進化(Co-evolution)である。
ハイブリッドカーでさえまだ微生物圏のサブシステムである。
国家と個人
部分の集合が全体を形成するにしたがって
全体のために部分を犠牲にする全体が容認される場合
全体は推測可能である。
部分からは推測できない全体のために
機能しているシステムでは
部分の欠損が発生しても
全体のシステムに致命的な状態を形成しない。
それは、全体のために部分をより犠牲にしないことではない。
全体が部分よりも重要ではなくなるからではなく
より重要な部分が形成されない全体が形成できるからである。
親しさ
親しみのない存在は
不自然に感じるから
自然に精通すると
無遠慮な関係までも
エコロジーに含むようになる。
なれなれしさは
身勝手な愛撫でしかない。
自然を裏庭のように
親しい存在にしたいだけなのだ。