すべての個人情報は部分である。
ビッグデータによる検索、共有、転送、解析、可視化などから
テロの防止、ビジネスの傾向の発見、研究のレベルの決定などが実行できる。
ビッグデータとは、そのすべての部分を集合させた全体から
部分のふるまいが推測可能なことを示している。
しかし、推測可能な全体を解析し、再び部分に応用するだけの世界が
しばしば完全に陳腐化されるのは、
人間が、部分からは推測不可能な全体の働きを突如発見してしまうからだ。
どの部分にも全体を予測できる要素は
まったく存在しなかった事実を認識する瞬間が訪れるのである。
つまり、個人の可能性は、すべての個人情報の集積をしても
部分からは推測できないのであるが
その経験から、もっとも怖れなければならないのは、
収集され捨てられていく個人情報ではなく
ビッグデータは重要な科学的発見の予測ができないにもかかわらず
ビッグデータの主導権が個人にないまま
ビッグデータの予測にしたがって、
群として現在を理解し未来を生きていく事実である。