誰かが新しいことを考えると、誰かが模倣する。
誰かが新しいことを始めると、誰かがやってくる。
つまり、新しいことは二人から
同時に始まっていないにちがいない。
しかし、一人では何もできない人が
二人以上集まる社会や調和を求める傾向を作り出している。
だから、だれも互いを批判しないのだ。
新しい傾向でさえ、孤立を怖れる保守性から生まれるのは
考える前に、他者の思考方法で生きてしまうからだろうか。
昨日までの目的を射止めた方法こそが
確実に支持される方法になりやすいからこそ、
行動さえも
その目的や意味からではなく
行動形式の破壊から免れているのだ。