あらゆる科学的実験で
もっとも身近な安価な調達可能な素材は
自己である。
自己のテクノロジー(=自己規律)が
もっとも開発されにくい思考方法を教育することによって
客観性のために最初の主体的な主観性を
犠牲にする習慣が刷り込まれる。
すべての観察行為は
観察対象に影響を与えない、あるいは与えてはならないという
非現実的で主観的な立場を信じているのである。
同時に、科学を学ぶ学生のほとんどは
主観性は客観性を破壊するという怖れを抱いている。
こうして、科学に関する日本の教科書のような
退屈な書物が編集されていくのである。