人々は自分のために
自分の利益のために
そして、自分の家族のために生きる。
しかし、それらの目的に生きる者が
絶えず自己とともに存在することにはならない。
さらに、自己を含む宇宙のために
存在することへの移行は
有限性に自分自身が繋がれている幻想に
直ちに呼び戻されてしまうだろう。
税金で構築される国家の安全システムこそ
この有限性という幻想の終着駅である。
安全システムが
たとえば異常気象による短期間の異常な雨量という概念で
自らをシステムから免責できるのは
この局所的な有限性なのである。
(利根川水系という浮かぶ都市に住んでいる前提条件こそ
無限性に基づいた自然が導く安全へのテクノロジーを生むに違いない。)