共鳴するとは何か。
自分の外部の何ものをも享受しない
テンセグリティは存在しない。
外部のエネルギーによって
自身をより強化する構造の出現によって
人間のデザインする構造は、ことごとく黄昏れるのだ。
共鳴現象は、人間社会よりも
自然界により多く存在する。
共鳴するとは何か。
自分の外部の何ものをも享受しない
テンセグリティは存在しない。
外部のエネルギーによって
自身をより強化する構造の出現によって
人間のデザインする構造は、ことごとく黄昏れるのだ。
共鳴現象は、人間社会よりも
自然界により多く存在する。
競争や利己心、嫉妬心や攻撃性、貪欲さと妥協心が
生きる上での自然な姿だとして
その生き方を次第に容認していく時、
社会の構造もそのまま受容した
<世の中>で生きることになる。
しかし、その<世>の構造は
自然の構造とはまったく遊離したものである。
世の中で生きるのか、
その前に、
世に出るためにいきるのか、
あるいは
世を出るために生きるのか、
そのどれよりも
だれもがバイオスフィアに
この瞬間に生きているのだ。
その時空を<世の中>から
排除するシステムを受容する人々が
<世の中>で受ける矯正は
自然の構造を作り上げていく峻烈な試みとは
隔絶したものである。
競争や利己心、嫉妬心や攻撃性、貪欲さと妥協心から
自然の構造が形成する統合力は生まれない。
世の構造はこの統合力を奪う側が支持している。