植物や動物は、エコロジーの中にいて
エコロジーを発見できない。
自己エコロジーは、絶えざる試行なしには
テクノロジーにはできない。
自己エコロジーは、
自己の外部化なのである。
シェルターは
自己の外部化のための
道具としてデザインされる。
植物や動物は、エコロジーの中にいて
エコロジーを発見できない。
自己エコロジーは、絶えざる試行なしには
テクノロジーにはできない。
自己エコロジーは、
自己の外部化なのである。
シェルターは
自己の外部化のための
道具としてデザインされる。
コンビニとアマゾンは
電気や上下水道のように
すでに社会インフラ化している。
個人を高齢化するまで
都市に定住させるためのテクノロジーは
動的なテクノロジーによって形成されている。
10兆円規模の多国籍企業は
政治経済に影響を与えるだけではなく
健康と人口に関するビッグデータの
解析能力とその未来予測に影響を与えている。
教育が個人の選択に応じて自らを変えることを可能にするように
21世紀のこれらの社会インフラ化は
個人の選択に応じて自らの好みと健康、
そして思考を変えることを可能にする。
しかし、無数のユーザからは、自分の主体性、自分自身との関係を変える
テクノロジーとは無関係であると思われている。
構造は大地に自らの自重を流す技法によって
その構造安定性と構造の自立性に関して
定義を失ってしまった。
建築の疑似構造は
大地は不動ではないことで
大地が生成された流体地理学を
けっして受容しなかった。
彼らは津波に対向できるより大きな固体を
<浮かぶ陸地>に建造するだけである。
流体地理学と共存できないゆえに、
同時に、エネルギーと食料の生産技術は
建築の疑似構造によって権力行使の中に組み込まれ、
さらに後には、
医療や教育、美術といった記号システムに統合された。
自己エコロジーは
<真の構造>の発見する自己のテクノロジーと共に始まる。
ひと雪ごとに、春になり
きょうから一雨ごとに、花粉が減る。
森の衰退による農業生産性の低下
(例えば、化学肥料による高コスト化)以上に
医療費の増大に伴う工業生産性の低下なども包括的に研究されていた
とは想像できないほどに
彼らは思考の奴隷化に成功したのだろうか。
花粉症は
敗戦国の生物的奴隷化であるが
惑星地球上での杉の相対的存在度を復元するならば
日本はまだエコロジー的に優位な場所にあるだろう。
地球表層部の化学組成ですら均一ではない理由がある。
岩石圏に集まりやすい元素群や
金属相に集まりやすい元素群の無意識は忘れられている。
杉と言えども
太陽系内物質であり
植林による杉の分布は
太陽系存在度を記憶している森に
従うべきである。
黙々とひたすら構造とパターンを
発見しようと試みる。
その結果、発見された構造デザインを
他者にけっして原型をプレゼンしないまま
プロトタイプを再び黙々と制作する。
構造とパターンを最適な物理的モデルに変換した結果を
形態美やコストという<見える機能>から評価する知識から
けっして評価させない自由と経済的に自律する配慮は
他人の欲望を利用するデザイナーたちの
自惚れ(個人的獲得物質=for personal gain)からは生まれない。
自然の優れた構造とパターンには
もっとも経済的な構造安定性が共存している。
——–美が無意識と共存しているように
構造デザインについては、
〈利害関係のある〉存在と〈利害関係のない〉存在との対比を排除し、
デザインする側の主体の優位性を放棄しなければならない。
すべての構造デザインが
求める構造安定性は、宇宙に属する。
エネルギーと食料、そして住居を個人が生産しない場合、
政治権力は意識や思考に作用する。
さらにいっそう個人の身体に対して物理的に働きかける。
人々を物理的・空間的に都市と農村に
巧妙に配置することによって
思考と消費の流れを作り出すばかりか
人々の無意識と直観、そして美を遮るまでに成長する。
政治権力が
呼吸、姿勢、モラル、身体動作、空間認識・住居や車のデザインなどを
人間に強制するだけではなく
その方法までも支配するという現実を理解する方法を
だれも研究しない。
エネルギーと食料、そして住居の包括的な生産方法を
個人がその歴史とノウハウを理解する過程で
そして、それらを直観と美のみにしたがって
自発的に学習する時、
政治権力の起源を想起することが含まれるだろう。
個人はことごとく遮られている現実を識るために、
そして、
それと絶縁するためのテクノロジーを習得する前に。
秩序で正常化させる技術は
メディアの内部、学校や国会で使われる。
権力による正常化のノウハウは
役所や工場、オフィスなど至る所で
もっとも平均的な思考力とともに
定着する。
メルトダウンを隠蔽する技術は
それを公開する技術よりも優れていたが
メルトダウンを正常化する技術は
時間以外に存在しない。
大規模な復興の実態とは
耐震設計以前の構造救済の形態が
構造の貧困化の最大の原因であり
あらゆる生産的で安全な空間構造への
法律的な漸進的固定化によってもたらされる
固体的構造の緩慢な死は
つまり、40年以内だ。
リセットしない復興システムの
緩慢な死こそ
復興資本主義の強欲な形態でもある。
なぜなら、「宇宙には固体は存在しない。」RBF
そして、固体物理学も存在しない。
固体(solid)という概念が
防波堤やビルディングの強度と剛性に対する
願望を存在させているのである。
短命な固体こそ、分子的に変化し崩壊している。
実際、その寿命は実質40年間であり
非再生的で短命である。