月別アーカイブ: 2016年4月

予測できない存在

圧縮材は細長比の限界まで圧縮力に耐え
張力材は破断の限界までを許容するといった
いつも決まって定義される機能の分担を拒否しなければ
構造は発見されなかった。

機能の分割または分業から
どんな統合性(integrity)も生まれない。

圧縮材も張力材も統合性によって
限界を拡張する場合でさえ、
より軽くより細くデザインされる。

統合性(integrity)は
つねに予測できない存在である。

意識的な漸進的変化

デザインサイエンスは、個人を捕らえて、
個人が何者であり、何が可能かを理解し、
個人の果たすデザイン行為の有用性を知り、
群れの中でどうふるまうか、
そして様々な道具類をどのように配置したらよいかを知るためではなく、
宇宙と人間との相互関係から個人の思考と行動に変化を与える
意識的な漸進的変化のプロセスなのだ。

そのあまりにも意識的な漸進的変化こそ
自己のテクノロジーの反映である。

入学式

いつ監視されているか、いないのか分からないままに、
すべての方向から監視されている監獄建築(=パノプティコン)以上に
われわれは、監視され矯正される社会構造の一員になる日から
逃亡する最初の機会は、
父兄が円形状に監視している入学式の午後である。

そして、森の中で、
できれば海の上で、
シナジェティクスを開始する日なのである。

不可視の視覚化

<構造とパターン>という数学概念の背後に隠れているものを
シナジェティクスによって発見し、
モデリングによって初めて形成されるモデル言語と不可分な視覚化とによって
解放しなくてはならないのは、
それまで不可視であった<構造とパターン>は
モデル言語自体で語ることは困難であるが
それなしでは視覚化することさえできないからだ。

概念の牢獄

シナジェティクスを学ぶと
ある種の学生には
驚きを打ち消すための錯乱が発生する。
10歳以下の子供にはほとんど見られない現象である。

自分たちを教育したそれまでの学習方法を肯定するために
そして、専門化への分断化を陳腐化するすべてのプロセスに
敵意を抱く習慣のある学生たちに発生する
無意識的に隠されていく錯乱ほど
自己弁護に塗れた<概念の牢獄>はない。

<概念の牢獄>への若き伝道師は
計画的にそして経済的に無数に作られる。

大脳生理学的な理論に基づいて
イニシャライズが手遅れになるように
その錯乱は、個人的で主観的で
そして、局所的に終わるのである。

知られざる『シナジェティクスvol.3』

シナジェティクスにさらに未知なる原理を導入するために
シナジェティクスの思考を問い直すということは、
バックミンスター・フラーの遺産であるアーティファクトの現実的な不可欠な破壊や解体、
そして別な次元への転換と応用、
こうしたものへと自発的に到るような何かを経験することを意味している。

例えば、私には、
ジオデシック理論(球面上の2点間の最短距離の前提の否定)の破壊、
テンセグリティ理論(圧縮材の不連続性)の解体、
シナジェティクスモジュール理論の拡張と更なる一般化などが可能かどうかの
挑戦と実験を繰り返すことを含んでいた。

フラーなき最初の時代に、幸運にも私の挑戦した諸結果を直ちに最初に評価したのは
半世紀に及んだ『シナジェティクス vol.1&2』の編集者アップル・ホワイト氏であった。
それは、彼が3日間の私のシナジェティクスワークショップに参加した時である。
(バックミンスター・フラー研究所が主催した1980年代後半から90年代かけて始まった
このカリフォルニアでのいくつかのワークショップには
当時のすべてのフラーの後継者たちが世界中から参加した。)

フラーの遺言で彼は、シナジェティクスの編集権を単独で継承していたが
驚くことに『シナジェティクス3』の編集にすでに関与していた。
その編集のために、私にコンタクトしてきたのである。

『シナジェティクス3』を未完のままで終わらせたくはなかっただろうが
後に彼は健康上の理由でその編集作業を辞退してスタンフォード大学に委託した。
現在デジタル化の準備がなされている。

レイマンとして自己規定したアップル・ホワイト氏は
『コスモグラフィー』(白揚社 2008)の日本語版の編集協力者でもある。

シナジェティクスの技法

シナジェティクスの探究というものが
もっぱら新しい幾何学上の知識の獲得のみへの
願望によって遂行されるならば、
そうした探究にどれほどの価値があろうか。

真理を発見する技法が発見されたとしても
それは新しい幾何学上の知識によってではないからだ。

(もちろん、バックミンスター・フラーはそれを発見していたが
遺書となった『コスモグラフィー』(白揚社 2008)には
不完全であるが記録されている。)

許容の限界

学習は、許可と禁止という分割思考によって征服され
認識には、最適と見做される平均的思考方法が定められ、
行動に関する許容の限界が無意識的に形成される。
(例えば、シナジェティクスが幾何学として、
デザインサイエンスがデザイン学として専門分化の限界内で認識される。)

こうしてた学習方法と擬似的な思考の構造は、表裏一体となる。

許容の限界は
ついに<個人的な選択肢>として受容され続けている。

こうして、両親の愛情と共に
人間の直観と詩の一行は去っていく。

集団で作動する多様なこうした力関係から
絶縁するテクノロジーがシナジェティクスである。

テンセグリティ・ストレス

圧縮材の細長比が適切であれば
テンセグリティの自重や外力から生じるすべてのストレスは
張力に変換される。

真の構造では、ストレスはなくなることはない。
そのストレスで構造はより強化されていく。

しばしば局所的に
その対称的な均衡が減衰しているように見えるだけである。

テンセグリティ・ストレスは
結合力に変換される。

破壊する知

シナジェティクスは
デザインサイエンスに相互作用するから
シナジェティクスを優先することによってではなく
あるいは、シナジェティクスは
有用だからシナジェティクスを応用することによってではなく
シナジェティクスは
何らかの<破壊的な知>を生み出す。

少なくとも、それは
誰かかが誰かを教えるための、
あるいは
誰かから何かを学ぶための<知識>ではない。

そういう関係さえも破壊しながら
<統合していく、動く知(integrity)>である。