シナジェティクス研究所のブログに投稿
月別アーカイブ: 2016年5月
シナジー再考
人々がシナジェティクスに対して求めることができるのは、
非論理性の未知そのものからである。
そして、現実的なフィジックスと非存在なメタフィジックスとを、
真実に等価な一つのビジョンの中で
一つに統合する操作主義によって、
世界の本質を捉え直す可能性が開かれるのである。
等価な一つのビジョンの段階と
シナジー現象の現実的な複数の経験と発見とは
互いに相補的である。
非論理性なきシナジーは
どんな現実も形成しない。
矯正する空間
住宅の空間機能は人間の意識を
矯正する空間になるばかりか
精神病を発現させる可能性が高い。
仮設住宅でその隠れた機能は
短期間に、そして
最大限に現実化する。
本来の空間機能は
物事の在り方に気づき、同時に自己との関わりを向上させる。
自分を住み家を、自分で作り出し
自分で管理し、修理できない哺乳類は
人類だけである。
住み家制作を専門分化し、その所有のみに従事したのは
怠惰に矯正された結果である。
これまでの住宅の空間機能に
エネルギーと食糧、そして水の包括的な再生装置が
まだ組み込まれていないのは、
意識的な進化を自負する哺乳類としては、もっとも不完全で
不健全である。
シナジェティクス3へと続く
驚くほどシナジェティクスが枯渇していると感じ
デザインサイエンスが21世紀で
もはや望ましいものでないとするなら
クリティカル・パス方法を更新し
新たなデザインサイエンスを発明するか
シナジェティクスに代わる
別のシナジェティクスを発見しなければならない。
さもなくば、バックミンスター・フラーなき
1983年以後の停滞した余分なものとしての
シナジェティクス3に違いない。
シナジェティクス3の探査が
デザインサイエンス革命という課題によって支配されていないかぎり。
浮遊する構造
構造物の基礎部分が大地に依存するかぎり
そして、大地にその構造物のすべての自重を流し続けるかぎり
すべての構造は、マントルに浮かぶ大地につねに浮遊しているのである。
不動産を支える疑似構造学が
注文住宅のオリジナルデザインによって
建築ビジネスに埋没している間に、
外洋の荒波や乱気流でも
破壊されないで快適に浮遊する空間構造は
すでに開発済みだ。
船舶や航空機以外で大気圏内を浮遊し移動する空間構造は
テンセグリティによって
もっとも現実化したのである。
すべての浮遊し移動する構造は、
もっとも安全である。
構造はその定義と共に崩壊した
解体すべきは、十八世紀以来、構造の幾つかの本質の定義に使われてきた
特性、アプリオリな固体的概念、安全性、経済性、耐久性などの総体である。
構造の定義の重要さは、想定した範囲内では崩壊しないと断言してきたことよりは、
むしろ構造の定義は、構造の発見によって
つまり、シナジェティクスによって、たやすく覆されたことである。
構造の定義は、構造の発見の後にやって来たのである。
つまり構造は、シナジェティクスより前には存在していなかったのだ。
徐々にではなく、つねに急激に
宇宙の原理の発見によって
産業の次に経済が、経済後の政治によって、
それまでの人々の生活水準に関する種々の制限を
徐々にではなく、つねに急激に突破してきた科学産業史を
政治は無視していることで政治は成立する。
人権や自由は、
エネルギーや食糧と同様に、工業化の諸段階において
徐々に制限されるべきだなどとは
企業にも政府、そしてメディアにも言えないのだ。
アジア的デザインサイエンス
雨水から、そして生活雑水やトイレの複合タンクから完全に
飲料水を再生し、永遠に循環させるた独自な自律的インフラを設備する
非・資本主義的なモバイル・シェルターは、
西欧文化の圏外にしか生まれないにちがいない。
アジア的デザインサイエンスは
あまりにも資本主義に特有な権力構造によるインフラ課金形態を
越えなければならない。
アジア的デザインサイエンスにクライアントは不要だ。
宇宙の原理群の純粋なユーザとなることによって
最小限の大気圏内モバイル用の宇宙船を建造できる。
アジア的デザインサイエンスは
エネルギー生産だけではなく
稲作を中心とした食糧生産のテクノロジーと
水の完全再生テクノロジーとを統合するであろう。
動くシェルターは、つねに動くバイオスフィアと相互作用する。
クリティカル・パスの形成
デザインサイエンスは
可能な解決を退けるような
専門分化した解決方法や批判を破壊するのではなく
プロトタイプによって
それらを陳腐化する実践行為とそれを支える理論化過程を含む。
その過程で
はじめてモデル言語を理解することができる。
その言語形成の能力が
講義や読書などの学習形態から習得されることはないだろう。
アンチ・リダンダンシー
建築ビジネスに於いて
構造設計家は安全率を高くするために
構造計算の結果よりも
数倍の無駄な補強を構造に与える保守的な態度によって
自らリダンダンシーの奴隷になっているかもしれない。
安全率が大きい場合、予測の不確実性が大きいので
リダンダンシーという概念を用意したとも言える。
より高く長距離で飛行するための
より大きな鳥の翼は
余剰の多さを受容する方法を排除して
歩行にはまったく不向きになっている。
航空機の構造デザインでも
予測の不確実性のために
素材の重量増加に依存する習慣は排除されてきた。
必要最低限のものに加えて余分や重複を許容する態度や
そのような余剰の多さを受容する方法は
有機体生物の場合は確実に絶滅の要素となっている。
その絶滅の要素こそが
リダンダンシーによって利益率を高くする方法であり
ほとんど詐欺師のノウハウである。