月別アーカイブ: 2016年6月

大黒柱

権力は、住居の個性化というデザインで矯正し、階層化し、
構造の自律化を回避しようとする。

すでに家庭や学校における個性化によって
構造の<大黒柱>への依存性をより強化してきた方法と変わらない。

より太く重い<大黒柱>とそれを羨望するデザインが、
人々を圧死させてきたにもかかわらず
<大黒柱>は再生産されてきた。

権力が最も恐れているのは、構造の自律である。
真の構造の自律化によって、<大黒柱>は消滅する。

構造の内部へ

混血していくと、人類はすべて黒人になる。
生物学的に人類には人種は存在しない。

安定した構造が、互いに融合していけば
すべてテンセグリティになる。
——–人体を構成する70兆個の細胞のように。

そして、構造学的に、科学的に、
人類はまだ構造の内部には居住していない。

構造の内部へ移動して
e・食・住(energy-food-shelter)を満たす時が来たのである。

直観と美(再考)

<直観>と<美>は、
法律(=記号)と土地という人為的な富による権力作用の中に組み込まれ、
さらに後には、教育や医療、精神分析、
そして大量生産技術なとど相互に連動し統合されることで、
あるいは、宗教と共に除外され続けることで
その重要性と自立性に関して独自なエネルギーを失ってしまった。

<直観>と<美>なくして
モバイルシェルターがデザインできないのは
それらこそが生存と自己のテクノロジーに深く関与しているからである。

非生産的すぎるテクノロジー

生存するには非生産的すぎるこれまでのアーティファクトとノウハウのほとんどは、
権力構造に属する人間が考案した適者生存の産物である。

鯨のネットワークに比較すれば「電力と情報のネットワーク」さえ、
抜け目なく課金するための分断された局所的なネットワークである。

『宇宙エコロジー』バックミンスター・フラー+梶川泰司 著 から引用

無関心

両親は、愛情の現れとして
こどもに生命保険をかける。

同じ理由から
こどもに教育投資を施す。

感謝されたいだけではなく
こどもが何を感じ、
何を考えるかには無関心でいられるから。

そして、無関心は、無目的である人生を遠ざけるのだ。

リダンダンシ( redundancy)という概念の崩壊

構造とは何かという問いが建築領域で辿った物理的・数学的軌跡は、
建築学ではその問いを退け、
耐震、免震、制振の機能を備えた疑似構造によって
その問いかけは遂に無力になる。

しかし、バックミンスター・フラーの発見において完結する。
すなわち、共鳴型テンセグリティ構造原理の発見。
テンセグリティ構造は、耐震、免震、制振のどの機能も本質的に包含するが
それらの機能のためのどんな部材も存在しない。

テンセグリティ構造には、どんな多重化システムもデザインされていない。
すべての局所的破壊から構造の深刻な破壊に連鎖しないために
優れた外力分散機能が自動生成されているのである。

建築学は、いまもフラーによる決定的な<リダンダンシーという概念の崩壊>を退けている。

予め構造を構造材によって多重化する行為で
そして、人々を構造の安全性への広範囲な幻想に閉じ込めたままである。

死因贈与

子供のもっとも関心のある出来事に無関心な、
それゆえに裕福な両親は珍しくない。

愛を装った人たちによって
無関心は意図的に教育されている。

無関心は、その主体が死んだら贈与する、
あるいは、
贈与される富にはもっとも関心がある。

<構造>の統合性

バックミンスター・フラーレーンの
構造安定性をテンセグリティ原理で理解する物理学者も存在しない。

なぜなら、バックミンスター・フラーが<構造>と呼んだものを
古いコードでシナジーを除外してコード化して
軽量化と安全性と経済性が融合した<構造>を阻止しようとする意志が、
さらには、テンセグリティを解釈する基礎を必要とする不安定なグリッドとして
人々に提示する専門家の行き詰まった意図が
<構造>の統合性の理解を阻んでいる。

シナジェティクスとデザインサイエンスとの融合のみが
軽量化と安全性と経済性が融合した<構造>を発見し物質化する。

原理とデザイン

日々のモデリングの中の陳腐化によって
引きずり込まれる突然の空虚こそ、
そして直ちに起こるモデル言語の誕生こそ、
構造原理という物理的存在形式を定義するだろう。

デザインサイエンスにおける
デザインとは
安全性、施工性、分解性、移動性、経済性、
そして軽量化を生成するための構造原理を
部分と全体の絶えざる相互作用から発見するだけではなく
それらを相互に調整する行為である。