気づいたことよりも
気づかなかったことの方がつねに多いことを
知るにはどうすればいいのか。
気づくために観察する(observe)とは、
語源的に<仕えるために注意深く目の前に保つ(serve)>という
ほぼ従属的な行為ならば、
観察者は、
観察から始める行為から
新たなビジョンはほとんど生まれないという
自らの経験に気づかない。
気づかなかったことを気づくのは
関係の包括的構造化による
全面的変化であり、
つまり非観察的な眼差しから形成されるのである。
自己を自己の外部から観る(=内部を裏返して外部化する操作)
ある種のトポロジーが
その眼差しを支えているのである。