静止的な幾何学は、測量技術を起源とする。
移動しながら生存するテクノロジーは
シナジェティクスの起源である。
人間は移動する時、
もっとも包括的に思考する。
静止的な幾何学は、測量技術を起源とする。
移動しながら生存するテクノロジーは
シナジェティクスの起源である。
人間は移動する時、
もっとも包括的に思考する。
建築の単位体積あたりの重量・エネルギーコストは、
植物の有機体システムを構成する細胞単位あたりのそれらと比較されたことがない。
エンジンの燃費は、決して植物の光エネルギー変換効率と比較されない。
森は移動した結果である。
種子は移動するようにデザインされている。
人間の都市は、戦争か、自然災害によって
強制的に移動する。
<構造>から反構造や非構造を排除することではなく、
国家とそれに結び付けられた<構造>という概念から
自らを解放するために、
数世紀の間、押し付けられてきた<構造>、または<固体>、
あるいは<角度的固定>という概念を拒否することによって、
主体性の新たな形式を見出していくには
何を実践すればよいのか。
シナジェティクスモデルは、
しばしば未知の概念を内包している。
科学で偽装したエコロジーは先験的主観性が決定的に不足している。
エコロジーの起源は、
ダーウィン一派の適者生存説を推進していた動物分類学の権威ヘッケルにより、
生物学の一専門分野として創設されたにすぎない。
直観はつねに先験的主観性を誘導する。
互いに離れていても。
科学的な計画や見解は、政治的な計画以上に
つねに、圧制の戦略や手段になる。
人口と地球温暖化を減少させる以外に
エコロジーは存続できないという科学的見解のもとで
たとえば原子力は税金によって開発されてきた。
シナジェティクスモデルによって
必然的に要請されるのは、
真理のみが支配する自由な思考の領域(=ドメイン)
の初期設定である。
その領域でのみ真理を検証する観察方法が、
そのまま事物を支配する眼差しに変換される過程にこそ、
機能が排除された建築構造などの形態模型(form)の意味作用とは
雲泥の差が形成されるのである。
例えば、シナジェティクスモデルには
浮遊する最小限の構造モデル(=カーボン製パイプからなる直径60㎝の共鳴型テンセグリティ)
さえ制作可能である。
建築構造に関しても
これまで考えられたことよりも
考えなかったことの方が圧倒的に多いのは
自然からその構造が破壊される毎に
より太く、重く、高価にして強化しただけだったからだろう。
より軽く、安価にするテクノロジーは
より高速で移動する構造体に採用されただけである。
政府開発援助(ODA)による貧困救済の贈与形態は
貧困化とテロの一原因であり、
あらゆる生産的で加速度的な富を超国家的企業による搾取によって
その富の格差、そして、
テクノロジーの固定化(主にダム建設などのインフラ整備)と拡散をもたらす。
こうようなIMF体制が得意とする贈与による統治は
みえない軍事力と緩慢な死(人口統制力)を強化している。
食料、エネルギー、シェルターへの
自立した生産力の加速度的な富は
つねに見せかけに終わる。