月別アーカイブ: 2016年12月

個人の形成

個人の形成が個人の社会的位置の選択を伴うならば、
個人の好みに応じて職業を変えられるだろう。

いまや日本の教育において、
多くの個人は、個人の形成が絶望的に近いと感じている。

なぜなら、職業が教育を決定しているからだ。

計画的偶然(precession)

シナジェティクスは、経験の意味を捉え直すための
新たな経験を求める操作主義のようにふるまう。

私という主体的経験が、<超越論的機能>において、
経験と意味作用を繰り返される現実のモデリング過程に於いて
単独者としてモデル言語を生成することで
宇宙の原理の存在を再発見するために、
新たな経験を求めている。

しかし、その目的意識自体によって
偶然性に潜む発見のチャンスは
ことごとく破壊される結果に終わるにちがいない。

にもかかわらず、ついに<計画的偶然(precession)>が訪れるという経験は
絶えず新たな経験から学ぶしかないのである。

この超越論的機能は、予めデザインされている。

観察力

思考形式も、身体の環境から、身体の表面で、そして内部で、
外部化作用によって生み出される。
圧縮力が、構造の表面、そして内部で、重力作用によって生み出されるように。

その外部化作用は、まず義務教育課程で、
徹底的に監督・監視する教師によって行使される。
その教育課程外でも、
10歳までに首尾良く訓練され矯正される味覚と食欲の研究は
無数のマクドナルドで実証されている。

しかし、マクドナルドで教育されたこどもは
優れた料理人は成り得ないという研究はけっして為されない。

抜け目ない権力の外部化作用によって
徹底的に思考形式の生産・再生装置に束縛されていることに
驚くことさえできない段階に到達したのだろうか。

太陽系生命が、<一粒万倍>の
内部化するシナジェティクスに支えられている現実を識る方法は
訓練され矯正された観察力から生まれない。

2つの機械的問題

日本政府による米軍機の事故情報が、
アメリカ軍の支配下にあるのは、つねに政治的問題である。  

しかし、

空中給油する前提でデザインされた航空機の場合、
空中給油ホースがプロペラに衝突したのは
本質的に航空機の機械的問題である。


コントロールが失われて基地まで帰還できなかったので
不時着時に機体がバラバラになった場合、航空機の墜落であり、
本質的に航空機の別の機械的問題である。


機械的問題が生じたオスプレイが墜落するまで、
パイロットには同乗する兵士全体の生存率に対する判断が必要であった。
着水は、兵士たちの生存率を上げるために訓練された結果であり、
島民に対する配慮ではない。

高価なオスプレイは、海上で危機的な機械的問題が生じた場合、
兵士の安全を優先するために、海上に着水して墜落するようにデザインされている。
(実際オスプレイのコックピットは、墜落してもバラバラにはならなかった。)

那覇 NAGA

海が連続している限り、
沖縄(=那覇 NAGA)なくして、武器とその中継基地、そして遠隔手段は形成されない。
権力と知の相互作用から、人々は従属させられる。
知るものは、見られるものとして。

しかし、しばしば人間が見るものは、
それまで人間に知られるものではないのである。

やがて、世界を構成するものは、入れ替わる。
見るものが、知るものと。

ITロボット教師

教師は知っていることを説明する。
もっとも退屈な教育のほとんどは
教科書やDVDに記述されているコンテンツの繰り返しだ。
こどもを退屈にさせる教師はITロボットに完全に替わるだろう。

しかし、子供から学ぶITロボットは、子どもの心に火をつける。
彼が子供になれるから。

教師もPTAも、教師のいない教科書もない学校で、子供が相互コミュニケーションによって
自己学習する完全な能力が備わっているとは思っていない。

20世紀にはじまった動物生態学に影響を受けた認識論から見れば
現代の教育学は、子供が子供を教育する科学的事実を隠蔽したままだ。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為

原子よりも小さな粒子説から生まれた電子という概念化は、
実在する電子を証明するための実験装置化よりも先んじていたが、
この方法が核物理学の始まりではない。

真空中でフイラメントを加熱すると陰極線が出る現象を
どのように言語化できるのか、から始まったのである。
そして、最初に粒子の進行方向に直角に電界をかけると
その進行方向が変化するという概念が実験装置よりも先行して発見される。

それまで決して言語化されたことのない概念、
あるいは馴染んだ語の襞の中に眠っていた領域を、
ついに機能を有する物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為には
原理の発見に伴う真理の生産と流通のプロセスの全域が反映される。

それ以外の方法と経験からシナジェティクスが、
社会システムが維持する表現や信念にまでに変換されることはないだろう。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為は直観に属するが、
教育プログラムから直観を使う包括的科学的方法は完全に除外されている。
(科学者はその経験と方法を論文から除外するシステムに生きている。)

直観はしばしば神秘的体験を含むからである。

ジオデシック理論批判ー数学的自然の形成

総三角形構造化への試行錯誤の枯渇化という現在の傾向として
その原因をフラーのジオデシック理論による
優れた汎用性に到達した総三角形化のテクノロジーと
それを実証する半世紀を超えた歴史がある。

この先行技術を突破してより有利なテクノロジーを発見する無数の試みは
力学的構造の経済的な有利性において
ジオデシック理論を超えることは不可能と思われてきた。

私もまた無数の試みから、
ジオデシック理論を超える有利性を物理的に証明するシナジェティクスモデルを発見するまで
ジオデシック理論そのものが総三角形化のための
過渡期的で人為的な数学的理論に他ならないという
<宇宙形態論(cosmograhpy)>的な視点を発見し、
そして時間に腐食しない数学的自然を形成しなければならなかった。

ジオデシック構造を超えるための純粋数学の物理的変換に挑戦したその第1プロトタイプは、
力学的構造の経済的な有利性ばかりではなく。、
ユーザにとって最大の経済性とモバイル性を実現するだろう。

ジオデシック理論批判は、
これからも学的党派性を超えたバックミンスター・フラー派の
シナジェティクスによって推進される。

共鳴型テンセグリティ

建築構造は、自立するために大地に依存しながら
外部エネルギーとひたすら闘うという設計方法を変えない。
故に、風雨や積雪に耐えても、振動し移動する大地の巨大なエネルギーと闘う方法を持たない。
したがって、倒壊した建物で人が圧死する構造を、人々は非科学的構造とは考えてない。
(家電やコンピュータの漸進的変化に比べて、
住宅や都市の構造の変化がきわめて緩慢なのは
建物が高価すぎるからである。)

外部のどんなエネルギーも享受する機能によって
自己を構成する要素間の共振(または共鳴)状態に変換するかぎり、
構造は自己充足する自律性を獲得する。

いいかえれば、外部からのエネルギーが構造を通過する過程で
そのエネルギーはその構造をより強化するのである。

自立のために大地の振動エネルギーさえも利用できる構造は、
テンセグリティ構造以外には存在しない。

テンセグリティ構造は発見された宇宙の構造原理である。

共鳴型テンセグリティ構造は、地表のどこにでも着陸可能な宇宙船である。
その宇宙船内部では植物の光合成を利用できる。

植物というエネルギーを自律生産するモバイル・テクノロジーと融合することは
現在の都市や住宅よりもはるかに科学的で自然である。