技法はしばしば懲りすぎた技法に留めさせるように働く。
原理は、その訓練され精緻化する技法には留まらない。
絶えず技法を陳腐化する原理は、
新たな技法に浸透し、その技法を通して物質化される。
他者の技法を模倣しないシナジェティクスの技法とは
技法の発明ではなく、原理を発見することである。
物質はメタフィジックスよりも遅れてやってくる。
技法はしばしば懲りすぎた技法に留めさせるように働く。
原理は、その訓練され精緻化する技法には留まらない。
絶えず技法を陳腐化する原理は、
新たな技法に浸透し、その技法を通して物質化される。
他者の技法を模倣しないシナジェティクスの技法とは
技法の発明ではなく、原理を発見することである。
物質はメタフィジックスよりも遅れてやってくる。
テンセグリティ構造の場合、
張力素材を正しく理解して応用すれば
その構造を構成する圧縮材の重量は、10%以下に
構造全体の強度と剛性は、10倍以上になる。
アルミ製品や銅製品の一部で強度などのデータを改ざんしても
最終製品の構造を正しいデータに基づいて再計算した結果が
製品の安全性に問題がなかったのは、
張力によるリダンダンシー(Redundancy 冗長性)が十分に高かったからだ。
航空機もロケットも金属の張力を構造体の表面で利用しているのである。
したがって、神戸製鋼による金属素材の検査データの改ざん事件では
素材部門と機械部門とが共同して構造解析した結果に基づいて
テストレポートを改ざんしていた可能性がある。
データの改ざんには、明らかにバックミンスター・フラーの
<doing more with lessing>の理論が利用されている。
張力によるリダンダンシーによって
アルミや鉄の材料までより安く製造できていたのである。
覚えても学べない、
理解しても喜べない、
行動しても虚しい時は、
直観的に学び、
直観的に理解し、
直観的に行動することができるだろう。
直観、つまり凝視は、
他者の知識を直接的な知識へと電磁的に誘導する。
栗虫は、栗になる前に産卵するので、
落下して収穫する栗のほとんどには、先住者がいる。
渓流釣りでは、その先住者は優れたエサになるが
栗虫のような幼虫の段階は、だいたいゼリー状のミルク味がするはずであるが、
茹でた後の栗を食べて、吐き出すほど苦い味の場合は、
栗虫ではなく糞の味である。
鮎や河川に残留した巨大アマゴ、ヤマメなどのやや大型の川魚だけが
水中に落下して溺死を免れるために栗内部から脱出して浮上する間の
純粋な大型ゼリーを深い淵から巧みに他の小さな仲間よりも先に捕獲できる。
彼らにとっては、季節限定の生きたデザートである。
☆鼻曲がりアマゴの魚相は、やはりサツキマスである。
渓流釣りには、生きた昆虫を模した毛針よりも、季節限定の栗虫の方が有効だ。
そして、私の経験では、栗虫よりも硬くボイルした鶏の卵の白みや卵黄を栗虫以上に好むようだ。
しかも、安価なのでどこでもゆで卵は用意できる。
引用
http://hiroamago30.cocolog-nifty.com/photos/2012/index.html
人間に属する創造性は存在しない。
自分が作り出した現実と
妄想が作り出した自分との間に
自らが発見した宇宙の原理が介在する場合、
遅れて理解する他者がその原理を内包したアイデアを
創造性(Creativity)という自惚れた概念に基づいて
価値判断する社会を構成していることが
創造性の前提となる。
「学校教育は創造性を殺してしまっている」教育論から
独創性(Originality)は保証されない。
少なくともその教育論から、シナジェティクスが発見されたことはない。
独創性の根拠は、他者から複製されなかった独自な経験にある。
経験的に人間は、
食物がなくなれば、1週間で
水がなくなれば、3日で
空気がなくなれば、3分で死に至るという前提で生きている。
電気がなくなれば、通信や制御ができないので
短時間で都市は死に至るだろう。
それらのすべては、現在の利権の優先順位でもある。
利権争いは、死に至る時間順位に基づいている。
ただし、空気を独占するにはあまりにも無尽蔵で国境がないので、
完全に汚染されるまで利権を争う価値がないのである。
水と食料とエネルギー、そしてシェルターを
個人で再生または生産できるテクノロジーを
最優先にするデザインと方法は、学校ではなく
つねに宇宙から学べる。
テンセグリティモデルを触れば、
張力の働きを理解できる。
テンセグリティモデルを作れば、
シナジーの視覚化を経験できる。
そして、テンセグリティモデルを破壊すれば
自然の非物質化の方法とプロセスを通して
メタフィジックスを理解したことになる。
その時に、初めて<浮遊するテンセグリティ>の
物理的条件が見えてくる。
不連続の連続こそが、強度と超軽量化の根源として。
ジープは、第二次世界大戦中の1940年に
アメリカ陸軍により開発着手された小型四輪駆動車であった。
戦時にも平時にも使用されるジープは、
どこでも<車載工具ですべての修理が可能である>部品から構成されている。
実際の戦時には、アウトドアは終わる。
豊かだったインドアと安定したインフラが破壊されるからだ。
緊急時に使用される現在のアウトドア用テントは
長期の屋外生活には、耐久性と実用的な居住性、そして経済性からも不向きだ。
部品に互換性があり形態・構造ともにほぼ同一のシェルターデザインを開発すれば
緊急時でも平時でも、耐久性と一定の居住性を備えたジープのように
ユーザが修理可能な実用的なシェルターができるだろう。
そればかりか、シェルターのすべてを市販の部材で構成できれば、
短時間にぼ同一のシェルターがどこでも複製され供給されるだろう。
太陽系で生きる延びるためのドアは、一つで十分だ。
それぞれの内部と外部を繋ぐための。
思考は、昨日までから演繹し、新たな個別の経験から帰納するが、
視覚、聴覚、臭覚、触覚は昨日に引き戻し、
時折、運良く現在を回復できるので
純粋思考はほとんど家族向きではなくなる。
太陽系でのもっとも経済的で安全な住宅デザインは
火星での住居に採用される。
火星計画の初段階では都市は形成されない。
経済的でもなければ、安全でもないから。
住宅は、無線、無柱、無管、無軌道のモバイルシェルターとして
デザインされる。
そして、火星での水・エネルギー・食料生産方法は
シェルター機能に含まれているだろう。
都市と農村の分離からではなく
コロニーの共同性による相互に統合された水・エネルギー・食料の生産性が
シェルターデザインを決定する。
自動車が遂に運転手がいない自動運転に成功した段階での
住宅の全方向的なテクノロジーの自律性は、
<自然選択>による適者生存ではなく、<宇宙選択>の問題だ。