遠近法でさえ

観察するためには、感覚器を必要とする。
視神経の束は人間の感覚器では最大となる。
だがその視覚は、自らの不安や欲望によってつねに監視され、
さらに視覚は、言葉と記号によって予め支配されている。
距離感を測定する遠近法でさえ社会構造が反映される。
かつてのインディアンやエスキモーの視力は、望遠レンズ並であった。

ほとんどの観察や理解は、自己の反映ではなく、外部の反映でしかない。
ただ眺めて生きているだけに飽きたとしても、
自然に剥がれ落ちるほどこれまで馴染みの理解からの離脱は簡単ではない。

概念の破壊なくして新たなビジョンは取り出せない。
理解は、観察を超えた自己と宇宙の関係を発見するプロセスに始まる。