70年代からのR.B.フラー研究所に
研究員として入るのはかなり難しいことだった。
彼が研究した後に草木は何も生えないから、
天才のまだ着手していないシナジェティクスを
探求していなければならない。
私がそれを知ったのは彼が亡くなった後だった。
無心さはその生成方法からは生まれない。
無心さはある種の無知から生まれる。
熟考(Consideration);
星(sider)と星との未知の相互関係の発見に、
既知の知識量はほとんど関与しない。
70年代からのR.B.フラー研究所に
研究員として入るのはかなり難しいことだった。
彼が研究した後に草木は何も生えないから、
天才のまだ着手していないシナジェティクスを
探求していなければならない。
私がそれを知ったのは彼が亡くなった後だった。
無心さはその生成方法からは生まれない。
無心さはある種の無知から生まれる。
熟考(Consideration);
星(sider)と星との未知の相互関係の発見に、
既知の知識量はほとんど関与しない。
バックミンスター・フラーは20世紀まで継承された
静的幾何学を蹴破ったのではなく
時間のドアを付加したのだ。
共鳴テンセグリティのように
ドアという面は構造には存在しない。
相互作用が原子核構造を形成した結果、
物質にはつねに隙間しかない。
シナジェティクスはドアのない自由で知的な学問だ。
Function of a Balloon as a Porous Network.
SYNERGETICS RBF 1975
テンセグリティ構造はモデルの形成過程よりも
その破壊の過程に秩序が見える。
半球状テンセグリティ構造でさえ
落下させても何度もバウンドする。
つまり破壊がどこで終わるのかさえ
まだ分かっていないのだ。
神秘を破壊する希有な物理的実験を知れば
誰でもその内部に居住したいだろう。
バックミンスター・フラーの講義用テンセグリティモデル
テンセグリティを学ぶには恐ろしく時間がかかる。
私はずっと学び続けている。
テンセグリティの張力調整が面倒になって
針金を使っていた愚劣な幾何学研究者(その書籍がある)がいたが、
この頃やっと張力の役割が分かってきた。
重力と基礎から完全に自律する構造を
学生に教える前に
究極の構造モデルの破壊実験から学んだ方が楽しい。
モバイル・テンセグリティシェルター 直径6.5m 2008
シナジェティクス研究所 制作 デザイン 梶川 泰司
モデリングはバックミンスターフラーにとって
限りない神秘だった。
私には現実の入口だった。
知らない言葉が突然理解できる世界の。
それがシナジェティクスだ。
本当のモデリングは生成される前の言語だから
誰にも見えないが存在している秩序なのだ。
ありふれているが宇宙では腐敗しない。
Involution and Evolution SYENERGETICS RBF 1975
新たな「名詞」が一つ増えただけで
「厳か」になる人々は時代遅れだ。
水と大地、そして食料と住居を
買うばかりだから汚染されたまま
重々しい現実が「厳か」に置換される時でさえ、
宇宙に連休はない。
宇宙の秩序は「動詞」から形成されている。
ルネ・マグリッドの鏡
反対称性のネガティブとポジティブの
革命的宇宙観をもたらした。
元号以外に政治経済も変わらない停滞から
自己啓発の試みによって
より高い能力より大きい成功を得ようとしても
自由からの限りない逃避は避けられない。
分裂していく自由は斥力を生まない。
それは権力の腐敗が引きずる強力な引力となる。
自己啓発は自己のテクノロジーではない。
他人の知識、経験及び思考を自己に注入する
他者を偽装した権力の遠隔テクノロジーだ。
自然には停滞も腐敗もない、電磁気学的な相互作用で調和する
植物は生き延びるために
発芽する自由と
発芽しない自由を作り出した。
見知らぬ場所まで運ばれても
見覚えのある環境が現れるまでの
時間に耐えるために、
花粉はその発芽点を多面体システムに変換し、
特に大気圏を高速で移動する花粉はジオデシック構造を採用する。
生体分子間の相互作用は分子間の引力や反発力によって担われる。
テンセグリティモデルの張力をゴム糸で代用する時、
細胞生物学とは無縁だ。
クォークモデル (quark model)
の対抗する素粒子の電荷は八道説を形成する。
シナジェティクスは八道説を
対抗する4組からなる頂点モデル(Polyvertexion model)に変換する。
シナジェティクスの相似性は類似性を超える。
クォークモデル (quark model)の八道説を
頂点モデル(Polyvertexion model)に変換する。
こんな日は酒飲みながら「ニーチェの馬」を観る。
「宗教の極限が国家」なら
人生は水素原子以下にちがいない。
「ニーチェの馬」以上に虚しい映画はないが
日本の現実はそれを超えているから
何度も「ニーチェの馬」の死を観るだろう。
「ニーチェの馬」監督タル・ベーラ ハンガリー 2011年