グランチの戦闘機1機分で首里城は復活できる。
菅氏は首里城に関して「沖縄にとって極めて重要なシンボル。
県民のみなさんに心からお見舞い申し挙げるとともに、大変心を痛めている」
この言葉の二重性こそ、
首里城崩落と9.11は、偶然を装った
「分断して征服する」政治的相似律にちがいない。
真の二重性は、複製するために、統合され、決して縺れない。
グランチの戦闘機1機分で首里城は復活できる。
菅氏は首里城に関して「沖縄にとって極めて重要なシンボル。
県民のみなさんに心からお見舞い申し挙げるとともに、大変心を痛めている」
この言葉の二重性こそ、
首里城崩落と9.11は、偶然を装った
「分断して征服する」政治的相似律にちがいない。
真の二重性は、複製するために、統合され、決して縺れない。
那覇(NAHA)とは、
ノア(NOAH)であり、ナーガ(NAGA)である。
————–バックミンスター・フラーの1982年の講義
那覇が変われば、日本がかわる。
それをアメリカ海軍(NA-vi-GA-tion)がもっとも怖れてきたことである。
那覇は、バイオスフィアを航海,航空,航行、周回する時の
浮かぶ永遠のマイルストーンである。
2019年10月31日、首里城全焼
なぜ約1世紀に一回消失し復元してきたのか。
1453年・1660年・1709年・1945年(アメリカ軍の空爆)の焼失に次いで
歴史上5度目の焼失
首里城 戦災で失われる前の正殿(空手演武)1938年(昭和13年)
収穫直前の林檎は台風で落下するとジャムにも適さない。
しかし林檎も台風も、トカマクやバイオスフィアの地磁気も
同じ構造とパターンの元型からやって来た。
漸進的変化は内部へかそれとも外部へか。
人間の住居はその元型に未だ適応できていない。
バイオスフィアのように自然選択しなければならない。
SYNERGETICS R.Buckminster Fuller 1975
Involution and Evolution.
トカマク型のコイル(青)とプラズマ(黄)の図解。プラズマ表面の緑線は磁場。(wiki)
自然は結果に対して責任を取らない。
破壊行為の復旧もしない。
人間との絆も必要としない。
始めと終わりがない無限の再生システムが
無機物から有機物まで一貫した無矛盾の過程を
再現するだけではなく、
どんな意図も超えて何もしないことで
すべてを成すシステムに到達したのだ。
火星の砂嵐の中を進む 映画「オデッセイ」より
植物学は、
花粉粒の表面で花粉四分子の中心から最も離れた頂点を遠心極、
反対側の四分子中心を向心極。遠心極と向心極を結ぶ直線を極軸と定義する。
有機体の面は動く頂点と共に動く稜線の形成後だ。
シナジェティクスは、
自然が採用するモデルを多面体ではなく多頂点体に求める。
存在は多面体(Polyhedron)ではなく
多頂点体(Polyvertexia)から始まる。
上図はツツジの花粉、下図はハスの花粉
https://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/kafunryuu.html
有史以前から酒を造らなかった民族はいない。
米、麦、トウモロコシ、芋、そして果実から。
どんな酒も最初は野生の酵母が糖分と出会ったからだが
酵母は陸でも海でも生存できる。
酒を自由に作らなくされた現代人は
海洋系酵母に滅多に出会わないほど
イーストのように地上で栽培されている。
私は、放射冷却を始めた秋の星々の下で
焚火をしながら
野生酵母のアルコール発酵に支えられている。
酵母菌の発芽は花粉の発芽孔の配置とは異なり非対称である。
桃源郷で自生する林檎のように
自然農の林檎も腐敗しない。
同じ理由で自生する柿も桃も腐敗しない。
もし自然の林檎が腐敗するなら、
果実のなかの種子は他の場所で発芽しなかっただろう。
強風で落下した林檎は
地表で発酵して球状にパッケージされた
小さな林檎酒になるのだ。
自然発酵には消毒済みの瓶は不要だ。
落下した林檎はその場所で小さな林檎酒になる
ハリケーンも台風も温度差で作動する巨大な掃除機である、
と同時に発電機でもある。
さらに膨大な淡水をインフラ無しで
短時間で陸地に移動させる副作用をもたらす。
バイオスフィアの分水嶺は
自然がデザインしたインフラである。
大気圏を移動する無管の飲料水用インフラ
台風19号の直前、カフェラテと共にシナモンロールを
いつものように注文した時から、
これ以上科学的な既製の左巻き台風モデルは他にないだろうという
シナジェティクスが始まった。
上昇する風のスパイラルの隙間が
下降する風のスパイラルの通路になり、
台風の規模によってその通路がより細分化されるように。
ただし、台風の目から生じる
右巻きのスパイラル構造が
砂糖によってまだ不完全である。
北半球の相似的シナモンロール・モデル
流路を定めず氾濫した利根川水域のナーガの変動履歴は
現代人の「温暖化による気候変動」の概念を超えている。
「4千年前:流路は湿地の加須低地側に変わった。
氷期が去って気候が温暖となってくると,
水量も増し多量の土砂を堆積しはじめた。
関東山地から平野に運び込まれた土砂が
荒川の扇状地を形成し、
利根川の流れを東の方へ押しやった」