結合角度を統合的にかつ動的に
向上させることができるのは
テンセグリティが
ジョイントレスであるという理解は
多面体が固体(Solid)として見立てる習慣と変わらない。
テンセグリティジョイントは
圧縮力と張力を相互変換する重要なノードである。
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戦略的なゲーム
バックミンスター・フラーの後継者の見解にすぎないとされることが多いのだが、
<テンセグリティは美しいが、建築空間には使用できない>という
建築コードのユーザである建築家たちの考え方は、
私の考えとはおよそかけ離れている。
建築とは戦略的なゲーム(国立競技場の場合がそれを物語っている)のことであり、
テンセグリティが、最初の科学的構造であるということは
誰もが解っているはずのことである。
対比的構造
張力に統合力は内在する。
圧縮力も外在的なものではなく、
構造に生じる圧縮力の不均衡の結果としての張力作用が
やがて両者が相補的に等価の構造を生成する内的条件となる。
そして、稀に、圧縮力と張力は閉じた構造で対比的に調和する。
その構造とパターンのメタフィジックスの起源は
テンセグリティに始まる。
それは第2次世界大戦後だ。
砕くために
図と地が同時に見れないように
圧縮力と張力を同時に
理解できないという認識こそ
自己以外の何者も必要としない
自己の統御を砕く
テンセグリティにふさわしい思考である。
つまり、足場のない相互作用の
最初の創設システムに向けられる。
大地
大地に依存し、大地に自重を流す
あらゆる構造を砕くために
テンセグリティは生まれた。
権力の構造もまた大地に依存している。
網膜を超えて
小さな要素の集合体として描く構造分析方法が
張力の統合作用を除外していても
誰も気にとめなかったのは
全体が部分の集合ではない存在を知識以上に見れないから
〈テンセグリティ〉という存在の明白さによって
すっかり盲目にされてしまったからかもしれない。
相補的であれ、補助的であれ、
張力の機能が熟考されないままに
人体も、細胞も、住宅も、
そして、太陽系も
意識の背後に残されてしまう。
網膜を超えて熟考する時に
真の構造はやってくる。
回転と振動
テンセグリティは
テンセグリティの構成要素に拠って自律するものではない。
原子核が、核磁気共鳴から生まれる歳差運動と
互いにバネでつながれている
おもりの振動から生まれる格子振動によって
構造化されているように
テンセグリティは、
結合エネルギーによる
回転と振動で自律しているのである。
構造の分析の前提をことごとく破壊するテンセグリティは
原因と結果の閉じた論理的な循環から発見されなかった。
構造デザイン
テンセグリティの構造デザインが
最初は構造を構造自身から引き剥がす
限界構造という概念から始める時、
剥がされて露わになった残余が
建築ビジネス用のリダンダンシーである。
リダンダンシーこそが
つねに構造デザインを
自然の構造であり続けることを妨げるための
国家管理の装置の中に位置づけるものである。
受動性
圧縮材が張力を引き出し、
張力材が圧縮力を引き出す
テンセグリティは、
受動性を否定するシステムである。
しかし、このシステムは
固体の概念からは
作為として理解される。
弾性率(elastic modulus)の高さを
固体の概念に求めた数十万年間のモデル言語の不在によって
テンセグリティの振動が
受動性として感じられるのである。
解離 (dissociation) のすすめ
テンセグリティ構造には、不連続性が存在し
圧縮力と張力は非鏡像的な相補性がある。
権力の組織間には、連続性が存在し
有機的な関係も生成されるが、
そこにはアナロジーも相似もなく
機構と様式の分類カテゴリーがあるだけである。
分類カテゴリーこそ
権力がリアリティを生成するプログラムなのである。
そして、われわれの教育過程でも頻繁に利用されている。
テンセグリティを学ぶことによって
人類はそれらのプログラムから短時間に
一時的にも解離できる。
この統合性の喪失なくして
テンセグリティによる統合が困難になるほど
概念の牢獄に繋がれているにちがいない。
非鏡像的な相補性こそ、
原子核に存在する宇宙の秩序の1つである。