<スモールハウス>は
単位体積あたりの重量が
ほとんど軽減されていないならば
省エネとは言えない。
エネルギーと食糧と住居の三代要素を
まだ解決できていない。
それぞれの要素を縮小しただけである。
あるいは
都市と家族の矛盾から分離したにすぎない。
増殖しながら移動する人類に不可欠な
全天候性の自律的なモバイルシェルターを
開発する理由が忘れ去られる<平時>が終わった時にこそ
最初のモバイルシェルターは生産される。
バイオスフィアの陸地の80%は、依然未使用である。
驚くことにその大半は北半球にある。
「テンセグリティ」カテゴリーアーカイブ
振動について
テンセグリティ構造を
持続したいという欲望があるときには
張力材よりも振動への恐怖がある。
構造を実現するには張力材による
圧縮材との振動による統合がなければならない。
振動は自重との闘いである。
自然は生き残ったテンセグリティ構造に満ちている。
振動について
構造を持続したいという欲望があるときには
圧縮材への恐怖がある。
構造を実現するには
張力材による圧縮材との統合がなければならない。
それによって、瞬間ごとに構造を実現できたなら
もはや振動による構造を怖れないだろう。
初期化された構造
STAP細胞の存在を疑問視する生物学は
「すべての定義は一時的である」と仮定している科学を
疑問視してはいない。
『操作的に定義された』概念は
科学者集団という<群れ=同業者組合>が運営しているのである。
真の操作主義は、
「すべての定義は一時的である」と仮定する
操作的定義自体を陳腐化することにある。
実際、STAP細胞もES細胞も
<細胞テンセグリティ>という構造として捉える定義には
未だ誰も言及していないように思える。
テンセグリティとは
<初期化された構造>にちがいない。
モバイル有機体
人間は大地に根を生やすことはできない。
農村の過疎化は
都市に人間が移動した結果である。
都市とは一時的に滞在する人々が増加した場所である。
ある場所により多く定住するためには
人間はつねに移動しなければならない。
足の生えた人間が大陸を移動するには
大地に固定された<基礎>ではなく
共に<動くシェルター>が必要だ。
森でさえ大陸を移動した結果だ。
係留されたバイオスフィア
鋼鉄製電車の一両分の車体重量は40トン程度あり
現在主流のステンレス製やアルミ制の車両でも30トン弱もある。
1967年にバックミンスター・フラーがデザインした直径約90mの
透明なバイオスフィア(=モントリオール博のアメリカ館)の全重量は
最新車両の1両分にも満たなかった。
バイオスフィアの垂直荷重を受けるために
予め用意された基礎部に実際は
一時的に係留されていただけである。
この構造デザインは
垂直荷重計算に浮力計算が伴う
大気圏に浮かぶ前駆体エデンドームだったのである。
大地に依存しない
最初の自律的な構造デザインから半世紀が経過し
浮遊するテクノロジーの懐胎期間は
すでに終わっている。
細胞テンセグリティ
STAP細胞とiPS細胞も
すべての細胞は
テンセグリティ構造なのである。
ーーーー分化する前から。
動的システム
テンセグリティがただ好奇心を夢中にさせるだけであって
精神を<平静>にできないならば
生命のない、しかし<動的システム>を
未だ理解できていないのだ。
生命の<平静>が<静止>を意味する限り。
外部ノウハウ
テンセグリティにおいては
外部から与えられたどんなノウハウも
つねに混乱をもたらしてきた。
それは
人間にとってテンセグリティは
発見することしかできなかった
最初の構造だからではなく
宇宙に適応した真の構造の
優れた機能だからではないだろうか。
つまり、本当の内部なのだ。
——–人間の洞察形式を陳腐化するための
受容から自律へ(ノウハウ know how からノウホワイknow whyへ)
例えば、
誰かが考案した球状テンセグリティモデルの
正確無比な作り方(=ノウハウ)を教えるほど
あなたが無思慮であり
あるいは、
あなたがそのノウハウに従うほど無自覚であれば
教師と学生はただ知識を模倣するための
学習システムを受け入れそれに従うだけである。
結局はまたテンセグリティとはまったく関係のない
権威というシステムを受容することになる。
細胞が自らの構造を複製し増殖するためにDNA以外に
テンセグリティシステムを採用したのは
19世紀から20世紀にかけて蔓延したこの非自律的な学習システムを
人類が学校を作る前に自ら破壊していたからである。
権力がこしらえた教育システムが
動機に基づいた生得的な学習システム(=ノウホワイ)を
模倣できなかった歴史は終わる。
それゆえに、生得的な学習システムを否定する教育システムは
教師の終身雇用制度の存続に専念している。