テンセグリティ」カテゴリーアーカイブ

物質化されたシンメトリー

美とはそれがなくては
ある種の構造が自律できないような
シンメトリーのことである。
自然のシンメトリーを完全に物質化した構造は
テンセグリティと呼ばれている。
この構造の内部空間を
人間の居住スペースにする開発こそ
21世紀のデザインサイエンスの最重要課題である。

遠隔的に

髭が哲学者をつくらないように
被曝が科学者を育てないならば
静かな絶望の生活を送るほうが
まだ哲学的である。
確実なものを失って
まだ残ることだけで
互いに結ばれるだろう。
電子と陽子のように
遠隔的に、
かつ不連続的に
かつ不確実的に。

(続)柔軟性

テンセグリティ・システムの強度や剛性は
そのシステムを構成するモジュールの強度からは
決して予測できない。
なぜなら、このシステムを通過するエネルギーが
システム自体をより統合するように
自己組織化するからである。

柔軟性

3.11以後の社会の硬直した言語は
もっと大きな挫屈の兆しかもしれない。
テンセグリティが
柔軟な強度をもったその構造システムを
けっして挫屈しないで維持できるのは
張力材が伸縮しているからではない。
部分と全体との相互関係を
連続的な張力ネットワークによって
つねに動力学的に変位(=外力分散)させているからだ。
しかし、このネットワークを構成する張力材の伸度が
小さければ小さいほど
この機能は全体の構造をより組織化できることは
ほとんど知られていない。

破壊せよ。

テンセグリティを破壊しなければ、
分からないことが一つある。
それは
調和した真の構造とパターンが
人間にはデザインできなかったことだ。
もっとも純粋な構造は
破壊から取り出せる。
自然の構造とパターンは
重さのない
メタフィジックスに属するからだ。

ネットワーク

情報を共有しても
情報共有を目的化すると
事実は稀にしか生まれない。
思考と言葉と行動が調和しているとき、
ネットワークは不要だ。
それ自体が外部を形成する
最小限のネットワークだから。
そして、
外部を形成するためには
つねに移動しなければならない。

善良な意図

未熟なデザイナーは
賞賛をもとめて自然の形態を模倣し、
熟達した構造家は
自然の方法を求めて
自然からの拒絶の試練を受け入れる。
より少ない言葉でより多くを説明できないかぎり、
真実への過程は言語化できないだろう。
例えば、
テンセグリティとその視覚化の起源について
あらゆる論理的な不快さを解消させた
建築家やデザイナーはいない。
形態と構造の違いは
これまでの幾何学では扱えないが
それゆえに
テンセグリティを表現手段にするのは
善良な意図による虚偽である。
まして人が住めないテンセグリティは
浮かばない船の模型にすぎない。

非物質化から物質化へ

着陸せずとも火星のことは知っている。
しかし、生命が存在しているかどうかは分からない。
生命現象はまだ科学者の同時的な観察に委ねられている。
テンセグリティが構造として存在可能かどうかは
デスクトップのCGやアニメーションだけからは分からない。
テンセグリティ機能の存在は
包括的なデザインサイエンティストによる
原寸大モデルでの
同時的な観察に委ねられている。
つまり、シナジーの存在をその可能性だけから
物理的現象に変換可能な包括性を
部分からは見抜く段階にはいないのである。
少なくとも
この物質化のための諸原理を調整する
メタフィジックスから
科学が意図的に絶縁しているかぎり。