お金をかけて森を静止させることはできない。
だから、移ろいやすい里山をだれも守ることはできない。
里山のシステム環境設定は太陽系ではないようだ。 Y.K
「ヒロシマノート」カテゴリーアーカイブ
アンチ・アブノックス
「ロシアの大陸間弾道ミサイル(ICBM)を日本のNPOが買って広島・長崎で解体・展示という皮肉な主張はどうだろうか?ヒロシマが核の象の墓場になる」などと考える人は 、まさにハリウッド的なアブノックスの虜になっているが、解体して回収できる金属でブレスレットやジーンズを製造・販売するのではなく、回収されたその金属で住居(シェルター)を製造・販売しなければアンチ・アブノックスにはならない。
人類の膨大な資源は兵器として地上または大気圏内外に貯蔵されている現実はお金では買えない。
金属は産業社会ではもっとも再生的な元素であるという「もう一つの現実」が兵器を溶解させているのである。 Y.K
「核兵器解体基金」のムダ
ロシアの大陸間弾道ミサイル(ICBM)を解体して回収できる金属でブレスレットやジーンズを製造・販売し、新たな核廃棄資金に充てる「核兵器解体基金」[時事通信社 05月23日]は、お金によって核兵器も廃絶できるという資本主義的交換価値理論を忠実にデモンストレーションした。
しかし、お金によって核兵器も廃絶できるというのは、世界を経済学だけで考えるとてもお人好しな勘違いである。センチメンタルでアブノックスな企画商品である。
この「核兵器解体基金」のプロモーションをハリウッドスターのスティーブン・セガールが引き受けていることとは無関係ではない。
こうしたプロモーションは軍事目的で仕掛けられるいつもの巧妙な心理戦(平時用)である。
なぜなら、
1
核軍備なしでは資本主義は存続できないという資本主義のデフォルトは、核兵器ではなく共産主義を廃絶するまではけっして変更できないからだ。このデフォルトは、政治家が核に関する軍事技術開発のイニシアティブを軍部に譲渡した時からはじまった。
2
兵器は計画的に陳腐化される資本主義の最大のオーダーメイド商品である。
「核兵器解体基金」によって兵器と交換されたお金は、再び最新兵器として再武装されるサイクルを早めているにすぎない。ソ連が解体されても軍備を解除したわけではない。
3
冷戦を有利に戦うためにを口実にして製造された核兵器は、ついに冷戦後も廃棄されることはなかった。むしろ、局地戦争をより分散化する小型の核が必要となっている。 Y.K
雑草と海草
森は他にすることがないほど緩やかに再生するように見えるが本当は、ゆっくりと人間には感じられない速度で移動している。海に向かって。
現在の人類が海から内陸に向かって自然森を根絶やしにしたと同じように、人類がいなければ惑星地球全体を覆っていたのだから。だから、いまでも森と共生していた雑草は海草になって生き延びている。 Y.K
キュービックなサッカーボール
「+チームガイスト」(写真上)は2006年ワールドカップドイツ大会で使用されるアディダス製の試合球である。
とにかく丸い。
6枚のプロペラ型パネルと8枚の三角形状パネルを組み合わせて
ボール表面の微細な凹凸を無くし、より球体を実現するデザインだ。
「+チームガイスト」はトポロジー的に見て原型は切頭8面体であることがわかる。
6枚のプロペラ型パネルは正方形から8枚の三角形状パネルは正三角形から変形可能である。
従来は5角形と6角形の32枚のパネルを張り合わせた32面体(写真下)だから面数を約60%減少させている。
そればかりか、これまでの5回対称性(=正20面体の対称性)は完全に破棄されている。数学的には双対性の原型から、キュービックでも8面体でもある。従来では球面の精度を上げるために面数を増加させたのであるが、縫製技術の革命によってデザインの根拠は反転して面数が少ないほど球面の精度は向上すると考えられる。
しかし、新旧のデザインにも共通しているのは、
構成部材の縫合される交差点(見かけ上の頂点)は常に3叉路である。
しかし、この三叉路の数は従来のサッカーボールでは60カ所あったが、このデザインでは60%減の24カ所である。
この面数と頂点数を劇的に減少させるデザインによって、
さらに縫合部分の全距離の短縮によって球面の精度と耐久性は著しく向上する。
特に試合中の変形度が低下するはずだ。
縫製部分の水分の吸収量も抑えられ、雨天時もボールコントロールはかなり容易になる。
これらの基本性能の革命によって、従来のデザインは完全に陳腐化されたといっていい。
今回のサッカーボールの機能デザインは、
グラフィカルな表面デザインではなくトポロジー理論から生まれた優れた解決法の一つである。 Y.K
黒ぼく土
遺跡はたいてい大地を掘り起こして発見される。
なぜ埋まっているのか。
私のこどもの頃からの単純な疑問であった。
砂漠では恐竜の骨が露出したままで発見されていたからである。
光合成による炭酸同化作用によってバイオマスは堆積する。
そして火山活動によって、火山灰も堆積する。
黒ぼく土は火山灰からできた土壌で、有機物をたくさん含んだ黒色をしている。
褐色森林土という中央中国山脈を代表する土壌によって、褐色森林土は場所によっては5mに達している。
黄砂のように大地が削られている砂漠地帯もあるが、私は地球の半径が徐々に増大している場所が好きだ。
焚き火をするために薪を買わなければならない場所からは100キロは離れている。 Y.K
反対称性
頭の良い人は自分を頭が良いとは思っていない。
頭の悪い人は自分を頭が悪いとは思っていない。
しかし、狡い人はたいてい自分を頭が良いと思っている。
真の正直者は頭が良い悪いなどにこだわらない場所を見つけている。 Y.K
熊の出生率
観察からシナジーは生まれない。シナジーは偶然に発見されるのみである。
熊を数えれば、森の大きさが測れるのである。
しかし熊は常に移動しているので数えるのはコストがかかる。
森の大きさを衛星から測る方が簡単である。
森とはブナの広葉樹林である。
この森こそが熊の出生率を決定しているということから
熊が増えればこのブナ林も拡張することが理解されなければならない。
同様に、人類の出生率を下げるには、電気エネルギーの消費量を上げれば良いのである。
人口増加はつねに電気エネルギーの消費量が少ない地域で発生している。
こうした根本的なモノの見方はたいてい見えないモノとの関係の発見に始終しなければならない。
しばしばその理解に1世紀以上を要することがやっと分かってきたのだ。
われわれが物質的理解だけに期待しているならば。 Y.K
熊の絶滅計画と保護計画
私は数学者として統計学の数字を無意識に追跡する習性がある。
昨日、西中国山地に生息するツキノワグマは現在推定300〜740頭との調査結果が発表された。
しかし、6年前の2002年度の280〜680頭に比べて微増したという発表は、2004年度、広島、山口、島根の三県では260頭が捕獲され、放獣されるなどした28頭を除いてすべて殺処分されている事実と矛盾する。
なぜなら2004年度は熊の総数の半分を虐殺した事実を無視して微増しているとは矛盾である。
熊の出生率から推定すると熊は微増したのではなく、明らかに虐殺によって激減しているのである。
現在の数字が間違っていないのならば、6年前の調査がいい加減なのである。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200606060111.html
私の住む季節風の激しい豪雪地域では人が襲われる被害は一件もないが、そのことが熊が少ないことにはならない。
中央中国山脈では熊は里山に降りてくるのではなく、いつものコースを散歩しているのである。
衛星から観察した結果では、熊の一日の移動距離は30キロ以上である。
少なくとも中国山脈の過疎の村々では人口密度よりは熊の密度が多いのは自然だ。われわれが寝ている間、熊は自由に散歩している。熊は夜行性なのだ。
人間の熊への関心が少ないので夜間に観察されていないだけだ。村人にはイノシシと熊は昼間の狩猟の対象でしかない。
密度は最も高い地域で「 3.4平方キロメートルに1頭」らしいが、もし虐殺されていなかたったばらば、密度は単純に倍になっていただろう。つまり「 3.4平方キロメートルに2頭」以上だ。
ツキノワグマは西中国山地以上に中央中国山脈のブナ林に生息してきた。しかし、地形が入り組み雪が少ない西中国山地しかツキノワグマの生息数は推定できない。それが現在の調査技術のレベルであるという前提がある。この前提こそが統計を怪しくしている。
熊と森の生存はこの技術レベルで決められているならば、熊の絶滅計画と保護計画は貧しい思考の表裏だ。
人とクマとの共生を考える保護計画の策定は、いつものように自然環境の保護を前提としているように思われる。しかし、熊の大量虐殺という負のシナジェティクスオペレーションが森を短期間に破滅に導くという認識はそこには欠落しているにちがいない。 Y.K
面点師
中国のうどん屋は面点師といわれる。
「点」は小麦粉であり麺は「面」である。
「面」の発見は、グルテンという張力の発見であり
幾何学法則の発見よりも人類を幸福にしてきた。
「面」の文化圏はパンと違って小麦を発酵させない文化圏である。
張力コントロールだけが面点師のわざではない。
「面」には発酵にはないフレーバーがある。
これから、あたらしい「面」の発見があるとするならば、生化学的構造デザインに依存する。 Y.K